後ろを振り向くな


今米国の食品関係の法律を訳している。300ページを2ヶ月で。

法律文書はくどい。一回一回ものすごい修飾語がつく。

そこまで言わなくても。。。と思うような。

だから、長くて複雑になる。どこがどうかかっているのか読むのに時間がかかる場合がある。

どうしてだろうか。

語の定義をはっきりさせるためだ。誤解がないように。

だから、違反がはっきりしてくる。もし法律が定義をいいかげんにすると、拡大解釈がまかりとおり、権力の暴走につながる。

法治国家である限り、法律が王なのだから、定義をきちんとしなければならない。

さて、異端とかカルトとかは実在する。

それは、誰か。

定義が必要だ。しかし、基準がなければ定義もできない。

聖書信仰であれば、「聖書にこのように書かれているので、異端、カルト」と言える。

しかし、聖書信仰でなければ聖書が絶対的基準ではないので、カルトも異端も定義できない。

定義したとしても、それは「私の常識によれば」もしくは「世間の常識」「科学の常識」ということだ。

しかし、これら3つのいずれも恒久絶対性を証明できない。

それは、時代とともに変わるし、科学の場合なら、科学そのものが、入ってくるデータによって知識が常に柔軟に変化することを前提としている。

「反証の可能性を残せ」と。

新しい情報によって古い学説は否定されると。

だから、科学は恒久的な基準にはならない。

科学者が言えることは「今の知識によれば、○○は間違い、おかしい」ということだけだ。

常識とか科学は、基準にはならない。

そんなものに支配されるなら、自ら「時代の子」になれと言っているようなものだ。

被造世界のいかなるものも相対者であるから、恒久絶対の基準にはならない。

我々は、絶対者を必要とする。絶対的基準を必要とする。

そこではじめてものごとの定義、善悪が決まる。

エデンの園においてサタンはアダムに善悪の定義を変えさせようとした。

これが人間の原罪だ。

善悪の定義を神の言葉以外で行うこと。

だから、聖書信仰のキリスト教以外すべての思想、考え方は、異端であり、カルトだ。

それは悪魔から来る。

ヴァン・ティルは、聖書信仰を原理的に確定した。

ラッシュドゥーニーは、ヴァン・ティルに基づき、聖書法を基準として世界を再解釈せよと説いた。

だから、ヴァン・ティル――ラッシュドゥーニーのラインは、正統派中の正統派である。

今のクリスチャンは、リベラル神学という名のカルトにやられているから、このラインをむしろ異端だとかカルトだと言う。

まったくもって、転倒しているわけだ。

価値観が完全にひっくり返っている。

これこそ偶像礼拝でなくて何だろうか。

今の教会が偶像礼拝に陥り、自分勝手に善悪の基準を作り、暴走したので、神は教会に死を宣告された。

その現われが今出始めている。

我々を異端、カルト呼ばわりするなら、そこからすぐに出るべきだ。

後ろを振り向くな。

 

 

2009年11月10日

 

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