聖書の倍返しの原則


執着はすべて偶像礼拝である。

何か大切にしているものは執着の対象となりやすい。執着しだすと、今度はそれが我々を振り回すようになる。

何でも依存症になると、それがないとどうしようもなくなる。神などそっちのけで熱中する。だから、偶像礼拝になる。

我々の手は、ベタベタしていてはならない。もちろん物理的な意味でではなく。

いつもパウダーを振りかけてサラサラにしておかねばならない。いつ取り去られてもよいように。

例えば、自分の社会的失敗を子供の出世で補おうとする人がいる。すると、子供を利用することになり、子供は深刻なトラウマを負う。

マイケル・ジャクソンは、親の野心の犠牲者だ。

あの異様な風体は、トラウマから来ている。

子供への執着、金銭、名誉、支配などへの執着によって、我々はどれだけの人を不幸にするだろうか。

サタンは我々の執着心を利用して、周囲との調和を破壊し、愛や平和を破壊していく。

いつも手にパウダーをつけておくこと。

そして、「これがなければどうなってしまうのだろうか!」と考えないこと。

執着によって回りの人々を不幸にしているものは、自分にとって不要なものなのだ。だから、失っても困ることはない。

ヨブは家族や財産を失ったが、試練が終わるとその2倍のものが与えられた。

今執着しているものを手放せば、神はその2倍のものを与えてくださる。

これが聖書の倍返しの原則だ。

 

 

2008年4月19日

 

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