神の辞書に中間という言葉はない


御言葉は剣に例えられる。

黙示録においてイエス・キリストの幻は、口から剣が出ている姿である。

パウロは、御言葉は剣である、と繰り返し述べた。

「・・・御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ6・17)

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4・12)

剣というのは、戦いの武器であり、それゆえ、敵を殺す力がある。

剣の刃先に触れて怪我をしない人がいないのと同じように、御言葉を聞いて影響を受けない人はいない。

普通の人間の言葉ならば無視できるが、御言葉は無視できない。自分で無視したと思っても、必ずどこかに影響がある。

預言者の言葉を無視し続けた人には、裁きが下る。

御言葉を無視し続けたイスラエルは最後に滅亡した。

だから我々には、御言葉を聞いたなら、2つの対応しかできない。

(1)従って祝福を受ける
(2)逆らってのろいを受ける

「私には独自の考えがあるから」といって、無視できないのだ。無視したつもりになっても、結果は必ず現われる。

祝福かのろいかどちらかしかない。

このホームページにおいて、私は繰り返して聖書から「すべての民族はキリストの弟子となる」と述べてきた。

そして、「これからサタンが全世界を制覇して、大患難時代がやってくる」というプレ・ミレの考えは間違いだと、聖書から論証した。

だから、それを聞いた日本のクリスチャンには2つの対応しか残されていない。

(1)御言葉から反論して自分の正当性を示す
(2)無視して裁かれる

このテーマについて、私は、自分の意見を発表しているわけではない。

聖書をそのまま述べているのだ。

だから、私の発表には重たい意味があり、それを読んだり聞いたりした人々には重大な責任がかかっている。

だから、正直いって、御言葉や御言葉に基づく教理について読んだり聞いたりすることは測り知れない結果をもたらすので、このホームページを読んだ人は気の毒だとすらいえる。

「義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったのです。」(2ペテロ2・21)

何も知識がないで死ぬ人と、知識があって死ぬ人では、死後の裁きに大きな違いがある。

キリスト教に近ければ近いほど刑罰は厳しく、御言葉の知識があればあるほど叱責は激しい。

「主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。」(ルカ12・47)

神が造られた旅館において、ぬるま湯はない。熱いか、冷水かどちらかである。

自分の人生を徹底して御言葉のためにかけるか、それとも棄教するかどちらかしかない。

神の辞書に中間という言葉があるなどと信じている人間は大きな勘違いをしている。

 

 

2004年12月18日

 

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