助けるべきでない者を助けるな


社会主義の福祉が破綻するのは、「助けるべきでない者を助ける」からである。

聖書において、福祉は、資格のある者に限定されている。

「やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。
…ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても、もう死んだ者なのです。」(1テモテ5・3-6)

「敬う」という言葉は「経済的支援をする」という意味を含んでいる。

聖書は、自堕落な生活をしているやもめは死んでいる、と述べている。

死んでいる者に経済的支援は不要である。

だから、自堕落な生活をしている人間に経済的支援をする必要はない。

彼らに与える福祉は、「落穂拾い」だけである。つまり、収穫において取り残したものを自分で拾って食べることだけである。

積極的に経済的支援をする対象には含まれない。

ひきこもりとかニートとか、自堕落な生活をして、社会に利益還元していない人間、朝から晩までパチンコにふける生活保護者、ヤクザ、…

こういった人間にまで経済支援するから、財政が破綻する。

もし福祉が個人や民間によって行われるならば、審査は非常に厳しくなるだろう。

「やもめの中でもほんとうのやもめを敬」うだろう。

個人や民間は、自分の虎の子を使うわけだから、誰に対して使うかに気をつけるだろう。

しかし、役人の場合、税金で集めたお金は自分のお金ではないから、懐を痛めることなくばら撒くことができる。

こういった垂れ流しの福祉は、与えるほうにも、与えられるほうにも、有害である。

堕落した人間を増やし、財政を苦しめる現在の福祉を止めるべきだ。

年金や社会保障についても、何も年金や社会保障を国がやる必要はまったくないのだ。

自分で自分の将来について配慮できない人間は、自分で実を刈り取る以外にはない。

なぜまともに将来のことを心配している一般の人々が、こういった老後について心配しないキリギリス人間の老後についても心配しなければならないのか。

「やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい」。

国は余計なことをするな。

自分のことは自分でできないのは子供だ。

この国は、余計なお世話をすることによって、自分のことができない子供を作り出している。

ニートやひきこもりを作り出しているのは、福祉国家自身なのである。

 

 

2005年9月30日

 

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