9条改正の聖書的根拠について


<zion様>

富井先生

大変丁寧なお答えを、本当にありがとうございました。
「右の頬・・」「剣を取る者は・・」は歴史的文脈を考慮して解釈すべきだということですね。これは大切な事ですね。感謝致します。
 ついでなのですが、自分の体、精神、家や国が侵害されたならば、それを追い出すために戦うべきであると積極的に肯定している聖書箇所ですが、それはローマ13章などがそうなのでしょうか。また律法の「殺してはならない」という教えも、裏返すならば、自衛を怠って、相手に安易に侵略させ殺させることも、ならないともとらえられなくもないと思いますが、いかがでしょうか。
 自衛ということには二つありますけれども、自分の国の防衛という問題と、他国との関係における集団的自衛権の問題ですけれども、集団的自衛権は聖書的にはいかがでしょうか。これは自国の防衛とは無関係に、アメリカの戦争に巻き込まれるという可能性からすると、聖書的に否定されると考えてよろしいのでしょうか。

たびたび申し訳ございません。
お時間があるときで結構です。
よろしくお願いいたします。

<tomi>
ご掲示を感謝します。
(1)
自分の体、精神、家族、国家が侵害された場合に戦うことを積極的に勧めているのは、たとえば、「地を従えよ」(創世記1・28)です。

人間は、神の秩序を地上に打ち立てるために創造されました。ですから、「統治」とは不可避的に神の義を確立することを意味します。神の義の秩序を破壊する犯罪者たちに対して、我々は警察制度や軍事制度、裁判制度を設けて犯罪や侵略を抑止し、裁きを行ない、刑罰を下す責任があります。

神の秩序を立てるために日々努力する遵法的な人々を守らず、犯罪者や侵略者の悪意に彼らを委ねることは、犯罪・侵略の助長であり、それゆえ、絶対平和主義者や非武装論者、警察制度否定論者は、消極的な秩序破壊者です。

ローマ13章は、為政者を「義の僕」として描いているので、防衛を積極的に勧める聖句の一つでしょう。

(2)

十戒の「殺してはならない」は、積極的な殺人だけではなく、無辜の人々が殺されているのを黙って見ていることも含まれます。

レビ記19章16節には、
「…あなたの隣人の命が危機に瀕している時に、むなしく傍らに立っていてはならない。私は主である。」
という戒めがあります。
http://www.usccb.org/nab/bible/leviticus/leviticus19.htm

1994年にルワンダにおいて大量虐殺が起こり、数十万人の被害者が出ました。
国連はアメリカが乗る気ではなかったので、積極的に介入しようとせず、それゆえ、国際社会は無実の人々が大量に虐殺されるのを傍観しました。殺人者の攻撃から無実の人々を守らないのも、殺人幇助罪に当たります。


(3)
集団的自衛権そのものは、自衛の方法として問題はないと思いますが、しかし、条件がなければならないと思います。
今回のように侵略戦争に荷担しなければならなくなるようなことがないためにも、細かな規定を設けて免責条項を設けるべきと思います。
たとえば、「相手国が同盟国を先制攻撃したのでない限り、同盟国の要請にしたがって戦闘に参加する義務はわが国にはない」というような規定が必要と思います。
それから、日本外交の最大の失敗と思われる三国同盟締結のように、明らかに悪魔的なヒトラー政権やムッソリーニ政権とつるまざるを得なくなるような同盟を結ぶことは禁止される、というような規定も必要と思います。
邪悪な王と契約を結んで失敗したユダの王様の話が聖書にはいくつか載っています。

 

 

2004年5月4日

 

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