プレ・ミレでは教会を励ますことができない5


コロサイ1・20はきわめて重要な聖句である。

「その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」

万物はすでに和解された、と断言している。

神と万物が調和したのである。一致したのである。

キリストと教会は結婚関係にある。

これから結婚する、というのではなく、すでに「結婚している」のである。

教会(エクレシア)とは、単に教会の建物や教会制度を意味するのではなく、神の御国を表す。神の御国とは、再生された被造世界全体である。

「church と訳されている新約聖書の言葉は ecclesia であり、これは、むしろ「神の御国」を指しています。ecclesia は、本質において、契約の民を表す旧約聖書の言葉 edhah (つまり「会衆」)及び qahal (つまり「集会」)と等しいのです。ecclesia と同様に、edhah や qahal は、契約の民全体、政治秩序、宗教秩序、軍隊等を意味します。新約聖書の church は、礼拝、政治秩序、福祉、教育等、あらゆる側面における神の御国を指しているのです。」(R・J・ラッシュドゥーニー:http://www.path.ne.jp/~millnm/postml.html

キリストが十字架について万物を神と和解させてくださったときから、全世界は神の御国であり、キリストの花嫁になった。

もう一度言おう。

全世界、全被造物は、キリストと結婚したのである。

しかし、キリストの時代のユダヤの結婚制度と同じように、結婚したことが即同居を意味したわけではなかった。

結婚後一定の別居期間があった。

この期間は、「法的には」結婚関係が成立して「いた」が、「実際的には」成立して「いなかった」のである。

私は、現在の世界を説明する上で、この結婚関係がよい象徴になると考える。

つまり、今の世界は、法的にはキリストの花嫁だが、実際的にはそうではない。

世界には、クリスチャンは多くはなく、キリスト教の勢力は限定的である。

今の世界は、「実際的な結婚関係に向かう途上」なのである。

将来、世界は文字通り「キリストと同居し、実際的な花嫁になる」だろう。

我々は、「花嫁としての教会」を「制度的、宗教的、地方的教会」に限定してしまう傾向がある。

しかし、エクレシアは、「神の国」であり、被造世界全体を表す。

ということは、被造世界全体が、将来、実際的キリストの花嫁になることになる。

つまり、被造世界全体が、キリストの花嫁としてふさわしいい状態になり、キリストを崇め、聖書を生活全般の基準として受け入れるようになるのである。

クリスチャンの伝道活動を通じて、世界は徐々に「キリストの花嫁」になるべく変わりつつあるのである。

プレ・ミレは、これが起こるのは、再臨後の千年王国時代になってからだという。

しかし、我々は、全世界はすでにキリストの法的花嫁であり、歴史を通じて徐々に実際的花嫁になりつつある、と述べる。

この考えこそ、クリスチャンに伝道の意欲をかきたて、世界の変革への励ましを与える唯一の思想である。

 

 

2005年9月29日

 

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