プレテリズムの聖書解釈11


> 3)黙示録1:1「すぐに起こるはずの事」と22:6「すぐに起こる
>べき事」は同じ物事なのでしょうか?

そうです。
どちらも、切迫していた紀元70年のユダヤに対する裁きを意味しています。

「それでは、20−21章もすぐに起こることなのか?」と言う人がいるかもしれませんが、そう思いません。

1−19章は紀元70年までに起こり、20−21章は教会時代から世界の終末の間に起こる。

ヨハネは、裁きが間近に迫っていることを、アジアの7つの教会の人々に伝えたかった。だから、彼らにとって必要な知識を伝えた。つまり、現体制(=旧約時代の世界体制)の終焉が確実で速やかに起こることを伝えた。

しかし、ヨハネは遠くの未来にも彼らに目を向けさせている。

それは、千年王国と呼ぶ長期間にわたるキリストの王国とその後に来る世界の終末である。

なぜ彼らにとって直接関係のない遠い未来の出来事を記したかといえば、それは、神が単にイスラエル民族の神ではなく、世界の諸民族の神でもあるから。世界の行く末を見せることによって、世界の主である神が最終的に勝利すること、そして、その勝利を見せることによって、間近に迫るイスラエルの終末に対する確信を強めることを企図したと思われます。

フルプレテリズムは、20−22章までもが、紀元70年に起こったと考えますが、もしそうなら、今我々が生きている世界が「最終的な新天新地」ということになり、我々から、世界の完成の希望は失われます。

今のような犯罪や戦争などがおこる世界が永遠に続くならば、「キリストの贖いは完全ではなかったのか?」という疑問が当然起きるでしょう。

これは、もはやキリスト教ではなく、「善と悪が対立しつつ永続する」と主張するマニ教やゾロアスター教の教えです。

 

 

2004年10月29日

 

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