進化論から卒業しよう


今の世代の人々は、進化論教育を徹底して叩き込まれているので、神が世界を6日で創造したということを信じられないらしい。

考えてみよう。

進化論は、獲得形質は遺伝しないということを認めている。

たとえば、親が腕を失っても、腕のない子供が生まれることはない。

なぜならば、子供の形質は子供の遺伝子によって決定するからである。

だから、ラマルクの「キリンは個体の必要に応じて首が長くなった」という説明は否定されている。

生物の形質は、個体の必要に応じて変化するのではなく、遺伝子の変化によって変化するのである。

イチローが相手投手に合わせてバッティングを調整し、進化するのとはわけが違う。

どんなに親ががんばって英語を勉強しても進化するのは自分だけで、その努力は子供に伝わらない。子供は自分で一から勉強しなければならない。

さて、遺伝子の変化は、AGTCという略号で表される4つの塩基の連鎖からなるDNAの変化である。

形質が変化し、環境に適合した形質が生じて生存競争に利益になり、生き残るには、この塩基の配列が変化しなければならない。

AGTCの配列変化によって何か有用な形質が誕生することを期待することはまったく不可能である。

これは、富士山の絵の画像データに文字を追加することを考えてみれば分かる。

画像ソフトを使えば簡単だが、010101…というように2進法から成る画像の生データを調整してそれを行うのは至難の業である。

画像ソフトを使った加工は、アナログの操作である。しかし、画像の生データを加工するのは、デジタルの操作である。

このように、DNAというデジタルデータの集合に操作を加えて有用な形質を生み出すことがいかに難しいか考えていただきたい。

また、この操作は、誰か人間が行ったというわけではなく、偶然の産物なのである。

進化論は、神の摂理を否定し、偶然にDNAが変化した結果、形質に変化が起こったとするのだから、このDNAのデジタルデータを変化させたのは偶然以外にはないのである。

さて、ふたたび画像の生データを例にとって考えよう。

生データにランダムな変化を加えて、画像に文字が加わることがあるだろうか。

富士山の写真データのデジタルデータをランダムに並べ替えることによって画像に雲が加わることを期待できるだろうか。

いやデータは秩序化に向かうのではなく、無秩序化に向かうのである。

富士山の画像は何がなんだかわからないぐちゃぐちゃの画像になるだろう。

突然変異によるDNAの塩基配列の偶然の変化、つまり、ミスによって進化が起こったという説明には、まったく説得力はない。

ミス+ミス+ミス+ミス+ミス+ミス+ミス+ミス…=秩序

という式は成り立たない。逆に、

ミス+ミス+ミス+ミス+ミス+ミス+ミス+ミス…=無秩序

という式が成り立つ。

一つの演劇で、ミスが無数に発生したら失敗である。一二度のミスであれば、劇にむしろ有益なこともあろうが、ミスが何万と起きたらめちゃくちゃになるだろう。

偶然が秩序を生むなどということを期待する学問は、もはや学問ではない。

百歩譲って、突然変異が起きて、環境に適した形質が偶然に生じたとしても、まだ疑問は残る。

進化論は、そういった個体は生存競争において優位なため、生き残り、同じ遺伝子を持つ子孫を残し、その個体が増えると仮定する。

しかし、生物の形質には、無数の進化ステップを踏まない限り、優位な形質にまで至らないものがある。優位な形質を得られないのに、この無数の進化ステップはどうやって進行したのであろうか。

たとえば、光合成について考えよう。

光合成は、光のエネルギーを利用して大気中の二酸化炭素を有機物に変える反応であるが、この過程は非常に複雑である。

そこには非常に多くの様々な反応が含まれ、成立に35億年かかったとも言われる。

ということは、その35億年もの長い間、このシステムが実際に生物にとって役立つまで生存競争には貢献しなかったということである。

「いや、もっと単純で原始的な光合成システムがあった」と言うかもしれないが、どんなに単純だといってもやはり相応に複雑な過程がある以上、それが成立するにはやはり相当数のステップがあったはずである。

光合成のシステム完成までのこの長い進化の過程の間、これを担った生物はまだ生存に有利な形質を持たないわけであるから、「適者生存」の原理に頼ることはできない。

おそらく何億年もの間、自分の生存にとって役立ちもしない形質を生物は持ちつづけたということになるのである。

なぜそれは退化しなかったのか?生存に不要な機能は退化するというのが進化論の主張ではなかったか?

有機物を合成できない中途半端なシステムは、何千万年の間に退化して消えてしまうはずではないか?それがなぜ生き残り、成立に向かってせっせとシステムを一つ一つ作り上げていったのか?

これは進化論の決定的な落とし穴である。

この疑問に答えられる人間は一人もいないであろう。

このようなシステムは生物において無数に存在する。

そもそも、この宇宙を閉じられた系、つまり、外部から秩序を生み出す負のエントロピーが注がれない系と考えるならば、宇宙の中においてはエントロピーは一定かもしくは不可逆的に増大し、無秩序は一方的に拡大するのである。

進化論は神の創造を前提としない説なわけだから、宇宙の外部からの秩序化の働きかけがなかったと考え、宇宙を閉じられた系としているわけである。

それならば、どうして熱力学の第2法則を適用しないのだろうか?

物理学者ジョセフ・ハロルド・ラッシュはこう語った。

「器官は、『原子の偶然の寄り集まり』ではない。」 宇宙のいたるところに構造、組織があり、それぞれには「組織化の原理」があって、すべてが互いにかかわり合って働いている。原理は、「原子自身の組織化に固有に存在する」。
「生物の種はそれぞれ独自に、個性的な遺伝子と適応のための智恵を蓄積している。これは、熱力学の第2法則へのもう一つの反乱である。」
(J.H.Rush, The Dawn of Life (Garden City, New York: Hanover House, 1957), p.140, 63)

シカゴ大学のモルティマー・J・アドラーは、進化論を「人気のある神話」と呼び、次の題名の本を著した。

『科学の名を冠した流行と謬説:現代の擬似科学者の奇妙な理論と、彼らを取り巻くへんちくりんで、こっけいで、人騒がせなカルト。人間の騙されやすさの研究。』(Fads and Fallacies in the Name of Science: "The Curious Theories of Modern Pseudo-scientists and the Strange, Amusing, and Alarming Cults that Surround Them. A Study in Human Gullibility.")

もうそろそろ、我々は進化論から卒業すべき時だ。

 

 

2005年5月15日

 

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