神の法か自然法か


エデンの園において、2つの啓示があった。

一つは自然啓示。善悪の知識の木は、「食べるのによさそうだった」。

もう一つは特殊啓示。アダムは、神から直接に、善悪の知識の木を「食べてはならない」との命令を受けていた。

自然的感覚でいえば、食べるのがベストであるが、特殊啓示からすれば、食べてはならなかった。

そして、聖書は、自然啓示よりも、特殊啓示を優先するように命じている。

アダムとエバは、特殊啓示よりも、自然啓示を優先し、失敗した。

ここに、我々が奉じるべき法の原理がある。

つまり、「人間の生まれ持った自然的良心や理性よりも、聖書の御言葉を常に優先すべし」という原理である。

だから、法律を人間の良心「のみ」によって決定するというヒューマニズムの原理は否定される。

自然法は、聖書法を否定し、それを乗り越えるので、サタン的である。

再建主義のセオノミーを批判する「クリスチャン」の真の狙いは、「世界から神を追い出すこと」を主張するヒューマニズムに同意することである。

彼らは心の奥底において神の主権を否定している。

人間の知恵、良心、知識によって、神の啓示法を拒否する「クリスチャン」の真の動機は、世界のノンクリスチャン化にある。

つまり、問題は、我々が求めているのは、神の国か、それともサタンの国か、ということだ。

キリストはすでに世界を征服しているので、最終的な運命は、神の国の勝利、聖書法の勝利である。これは運命づけられている。

我々真に神の主権を求める真のクリスチャンは、これらの偽クリスチャンの妨害にひるまずに、大胆に神の法を主張しよう。

 

 

2007年8月23日

 

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