バカの壁を批判するなら


養老教授の『バカの壁』という本が売れて、今はシリーズも出てベストセラーになっているそうだ。まだ読んでいないのだが、朝日に中条省平氏が書評を書いていたのでそれについてコメントしたい。


「話せばわかる」なんて大嘘だという。現にみんな「バカの壁」を築いて、知りたくないことに耳を貸そうとしないではないか。その結果、戦争やテロや紛争がやまない。…

自分は正しくて、相手は正しくない。そんな主張が出るのは、現実があやふやで、人間は何か確かなものを求めるからだ。そして、人間には分からない現実をすべて把握している者がいる、というフィクションを考え出した。「神」である。唯一絶対の存在があるから「正解」もある。こうしてどんな場合でも「正解」を徹底的に追求する。それが一神教だ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教。みんな、そんなフィクションを信じている。

もうここですでに宗教を一まとめにし、それぞれの内容を細かく分析もせずに決め付けを行ない、一人前のことを言っている時点ですでに「バカの壁」を作っているのである。

「自分は正しくて、相手は正しくない」ということをやめれば知的活動は成立しない。そもそも、このように一神教批判をしている時点で、「自分は正しくて相手は正しくない」といっているではないか。よくもここまで矛盾したことを言えるものだと感心してしまう。

イラク戦争以後、日本の知識人が一神教攻撃をして「やはり寛容な多神教の文化はよい」と自国文化に陶酔する姿が目に付くようになっているが、非常に危険な傾向である。

たかだかイラク戦争という失敗ぐらいで、欧米の巨大な知的遺産を否定することなどできない。もし否定したいなら、じっくり時間をかけて思想史と格闘し、どこがどう一神教がおかしくて、どのように日本の多神教が優れているのかしっかりとした分析をしたらどうだろう。

自らバカの壁を作っている人間は、バカの壁を批判できないのだ。

 

 

2004年5月9日

 

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