新しい学派を作るか、それとも既存学派を改革するか


日本における進化論議論は、創造論者にとって不利だ。

一つは、専門知識を持っている創造論者が少ない。だいたい議論しているのは素人だ。

私も素人。しかし、専門知識を持っている人々が多いか少ないかは、その議論が正しいか間違っているかの決定的なポイントではない。

世門知識を持っている人間が圧倒的に多くても、間違った議論はあるだろう。

しかし、実際的に「説得性」という点では専門知識を持つ人間の不足は、不利だ。

クリスチャンで生物学者が反進化論の陣営を張ることが望まれるが、残念ながらそんな人はいない。

なぜか?

進化論を否定すると、生物学者のサークルから追い出されるから。

私は、基本的に「場を変える」主義だ。

つまり、もし私が生物学者であるならば、進化論を信じている人々が圧倒的であり、学会を支配している場に残りたいとは思わない。

別の道を探る。アルバイトでもしながら、自分の研究を続け、新しい学派、進化論に立たない生物学を創造するほうを選ぶ。

しかし、そのサークルに留まり続けながら、機を伺うという手もある。これができる人は、一種の特別な才能が必要だ。自分の素性を隠しながら生きることができるという。スパイ的な能力である。

私は、感情や気持ちが素直に顔に出るタイプなので、絶対にスパイとか仮面をつけて生きることができない。考えたこと、思ったことがストレートに口から出てくるから無理。

でもそういう才能を持っている人が、下積みの後に、学界において影響力を持ち、反進化論に持っていくこともあるだろう。

まあ実際、我々は、これをやられて学界を乗っ取られたのだから。

もともと学問の世界は、創造論者の世界だった。それを無神論者に乗っ取られたわけだ。

天動説から地動説を、何か創造論者から科学者への移行のように考えているトンデモ科学愛好家が多いが、実際、コペルニクスは創造論者だった。ガリレイだって同じ。

一切の交流を断ち、新しい学派を作るほうを選ぶか、それとも、内部改革という手法を取るかは神の召しによる。神が導かれた道を進めばよいと思う。

 

 

2008年2月29日

 

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