クリスチャンの護憲運動や平和運動について


<zion>
憲法に対するお答え感謝いたします
富井先生。お礼が遅くなりまして申し訳ございません。
日本国憲法のために、まず、祈ることの大切さを改めて再認識させられています。聖書的理念をもつ政治家が皆無の現状においては、憲法が改悪されることは目にみえており、ただただ、祈るしかありません。

先生は、いわゆるクリスチャンによる護憲運動や平和運動なるものについては、どうお考えですか。それらは実効性のない単なるカタルシスの発散にしか過ぎないのでしょうか。それともしないよりは、なにか「運動」をしたほうがましなのでしょうか。

<tomi>

クリスチャンは王、祭司、預言者として任命された者であると聖書で言われていますので、クリスチャンの活動には大きな力があると思います。

ただ、サタンはクリスチャンが団結することを非常に恐れており、団結したり、互いに集まって祈ることを極力妨害します。

諸教会が団結して合同で祈る時に、驚くべきパワーが出ると思います。

ある人がラッシュドゥーニーに「この世で一番強力な宣伝媒体は何か?」という趣旨のことを尋ねた時に彼は、「説教である」と答えました。

礼拝説教は、まさに「礼拝内での神の預言」なので、これ以上強いメッセージはないと思います。

ダニエル書に「ペルシアの国の君」という表現があります。

「ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき…」(ダニエル10・13)

この「君」は霊的な存在、つまり、悪霊です。

これについてあまり気にしてなかったのですが、ハッと気付いたのは、「すべての民族や国民の上にこのような霊的君主がいるのではないか?」ということです。

たとえば、「北朝鮮国の君」とか「アメリカ国の君」とかが。

サタンは部下の悪霊を任命して、それぞれの国を支配させているのではないか。

このような霊的なバトルについて聖書が証言している以上、私たちは、この世界の背後にある根本的な戦争を見抜く必要があるのではないか。

私は、日本にも「日本国の君」というのがいると考えています。そして、日本がクリスチャンの国にならないように働いている。

それゆえ、クリスチャン文部大臣森有礼がキリスト教的創造論教育をはじめようとした(日本の最初の教科書はキリスト教創造論に立つ)ら、反動勢力が出てきて、森を暗殺し、天皇教を開始し、教育を牛耳り、戦争にまい進した。
http://www.path.ne.jp/~millnm/kyoukasho.html

ノンクリスチャンの目をふさぎ、悪魔の願いを実行させているのは、こういった反逆の霊たちであると考えます。

それゆえ、祈りには非常に大きな力があり、クリスチャンが祈ることによって、各国や地域を支配している霊に有効な打撃を与えることができると考えます。

この世界において、神と人間をとりなす者は「大祭司キリストに連なるクリスチャン」以外にいないのですから、クリスチャンがとりなしを止める時に、世界はサタンの掌中に入ってしまいます。

私は、クリスチャンが自分に与えられた霊的な責任を自覚し、世界をバックスライドから救い、むしろ、前進させることができるのは自分たち以外にはないということを悟るべきと考えます。

 

 

2004年3月18日

 

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