字義的解釈と象徴的解釈の区別49


> わかりました。クリスチャンによる石打刑の記述があれば一番いいんですが。
> 石打刑はユダヤ人にとって当たり前すぎて書く必要がなかったかもしれませんし。

繰り返しますが、初代クリスチャンの時代に、石打刑は広く実行されていたことが聖書から分かります。
パリサイ人はイエスを石打にしようとしましたし、パウロは石打にあって、ほとんど死にかけました。
ルカが記した使徒の働きを見れば、初代教会当時、石打刑が一般的であったことが一目瞭然です。
何をさらなる証拠が必要なのでしょうか。


> アナニヤとサッピラは石打はおろか死刑もなしで死にましたし、
> まあ教会に裁く権利がなかったのもありますが。
> でも旧約律法を適用したのが本当のキリスト教ならキリスト教の
> 歴史は一年ぐらいしかないのかもしれません。

旧約律法を適用したら本当のキリスト教が生まれ、繁栄したでしょう。
しかし、キリスト教は初期のころから異邦人の「自然法」を取り入れ、異邦人化(つまり、ギリシア化)しました。

> 私も再建主義は賛成でありますが、でもユダヤ人は石打刑をやってても堕落しましたし。
> 長老派はこの百年で堕落しましたし。
> 私も聖書を全体を見ながら勉強して、南雲先生などから教えてもらおうと思います。

南雲先生がもし石打刑反対の立場を取っておられるのでしたら、おそらく従来の改革派の立場(つまり、半セオノミー半自然法論者)におられるからだと思います。
先生は、非6日創造論者ではなかったかと思います。

> 私は石打刑は別にいいんですが。人に教える時は神学的にあってるのかなあと思うので。
> へんな事は言えないですから。まずは後説を広げる事が当面の課題ですね。
> まずは常磐平キリスト教会はホームページを出す事が大事ですね。
> 南雲先生はコンピュータが苦手らしくて、私も苦手ですが。誰かにページを作ってもらって、
> 大きい字で千年王国後説を入れて広く知られるようにしなければならないと思っています。

自分の立場を確立するまでには、へりくだって、本を大量に読む必要があるでしょう。
それも、スタンダードの本を。
基礎をしっかりと身に付けた上で思索を重ね、まず十分に神学的常識というものを身に付ける必要があると思います。
へんな形で独自性を出すと、それを守るために偏屈な人間になってしまいます。
これまでの歴史的議論を踏まえた上で議論できなければ、単なる非常識なドンキ・ホーテにしかなりませんから。

 

 

2007年2月15日

 

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