いつまで孤軍奮闘を続けなければならないのだろうか


今のクリスチャンが献身嫌いなのは、おだてられて育ったからである。

「あなたは高価で尊い」

「どんな罪を犯しても救われる」

聖書のごくわずかな部分を抜き出して自分勝手な神学を作った人々に騙されたからである。

聖書全体を見ないで、一部から教理を作るのは、異端の特徴である。

はっきり言おう。今流行の教えは、異端なのである。

それは、義務とか自己犠牲とかが大嫌いな人による創作である。

イエスは何と言われただろうか?

イエスは、何をしても救われると言われたか?

「自分を捨て、自分の十字架を負い、その上でわたしに従ってきなさい。」

「自分の命を愛する者はそれを失い、それを憎む者はそれを得る。」

セルフイメージだの、自己愛だのが教会にはやっているのは、世俗心理学が作り出したものを神学者や伝道者や牧師が無批判に受け入れた結果である。

世俗心理学は、「神とその法を拒否したヒューマニズムの人間王国において、どのように心を正常に保つか」という課題に答えるために生み出されたものである。

自分の創造者を踏みつけておいて、心が平安になるはずがないじゃないか。

今流行のキリスト教の教えは、人間を持ち上げ、それによって人々をひきつけようとした堕落したご利益宗教である。

この異常さに気づく人が非常に少ないのは残念である。

いつまで孤軍奮闘を続けなければならないのだろうか。

 

 

2006年12月31日

 

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