金儲けは神の国を前進させる特別な賜物である


人にはそれぞれ賜物がある。

それは、生まれながらの才能である場合もあるが、クリスチャンの場合、御霊の賜物というものがある。

これは、クリスチャンになってから与えられるものだ。

この賜物は、教会を建て上げるために与えられる。


しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。 ・・・
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ4・7−15)

使徒、預言者、伝道者、牧師、教師は聖霊の賜物である。

生まれながらの才能でなれるものではない。

日本人は、単一民族的な発想をするから、献身者はみな牧師になるものだと考える傾向があるが、違う。

牧師になる人は、牧師になる賜物を与えられたのだ。

だから、誰でも牧師にならねばならないというわけではない。

教会は、キリストの体である。体にはいろんな機能がある。

その機能ごとに役割を果たせばよい。

だから、自分に与えられた賜物以外のものを行うと無理が生じる。

職業でもそうだが、ある仕事でうまくいかなかったからといってそれを失敗と考えるべきではない。

○○崩れとか、ヤメ○○とか、蔑称で言われることがあるが、そういうのは、ナンセンス。

長島一茂は野球ではうまくいかなかったが、タレントとして活躍している。

現役時代、ある優秀な選手から馬鹿にされていたが、今は立場が逆転した。

人それぞれなのだ。

比較することがそもそも間違っている。

分業は、神の定めた創造の秩序である。

人はそれぞれ違ったものとして生まれてくる。そして、それぞれの違いが、社会を正しく成立させる。

分業が進めば進むほど文明は発展する。

戦争などで社会が崩壊した場合、人はいろんなことをしなければならない。

医者でも食料を確保するために農業をしなければならなくなるかもしれない。

しかし、そういう状態は、けっして好ましい状態とはいえない。なぜならば、医者が医者としての能力を発揮できないからだ。

農業に時間を取られる。農業を通じて医学について考えるという利点もあるかもしれないが、それはあくまでも本質的なことではない。

専門を特化できる状況が進むことによって、その文化は、それだけ効率化するので、他の文化を引き離す。

聖霊の賜物も、同じように、自分に与えられたものは何かを探り、それにできるだけ時間をかけられるようにしなければならない。

牧師が勉強できず、アルバイトばかりしているような状況は、信徒そのものにとって益にならない。

十分の一の不払いは、こうやって自分の身に返ってくる。

聖霊の賜物の一つとして、重要なのは金儲けの才能である。

金儲けは誰でもできる能力ではない。

これは、ある限られた人々にのみ与えられた才能だ。

神は御国の発展のためにこういう人を必ず起こされる。

そういう才能を与えられた人々は、献金を通して神の国を大きく発展させることができる。

ある有名な、日本でトップクラスの企業の社長がいる。ものすごい資産を持っている。教会に献金する額も半端ではない。

その教会はそれによって潤っている。

だが残念なことにプレ・ミレなのだ。

教えが間違っていたら、資金を投入しても間違った結果しか出てこない。

非常に残念なことだと思う。

預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。(マタイ10・41)

預言者を受け入れる人は預言者と同じ報いを受ける。

だから、報いを受けたいなら、人は他人になる必要はない。

たとえば、ものすごい大衆伝道者がいるとする。自分も彼のようになりたい、と思うかもしれない。

その伝道者のようにスピーチがうまくなりたいと思って努力する。

しかし、そのような才能は特別な才能なので、ほぼ間違いなく失敗するだろう。

自分がその人になる必要はないのだ。自分に与えられたものを生かす方向に向かうべきだ。

その伝道者を受け入れて献金をすれば、その伝道者と同じ報いを受けることができるのだから、その伝道者と同じ祝福にあずかれるだろう。

人生は短い。そして賜物は限られている。自分の人生を最大限に有効に使うためには、自分の賜物を自覚して、それを生かすように集中することだ。

自分は何に向いているのか。自分に与えられた聖霊の賜物はなにか。

分かったらそれに集中してほしい。

とくに金儲けの才能のある人は、大きな祝福を受ける機会に恵まれているといえる。なぜならば、牧師や伝道師を経済的に支えることによって、彼らの働きをそれぞれの専門に特化させることができるからだ。

内村鑑三は、「後世の最大遺物」の中で金儲けの才能をもっとも重要なものと述べた。

資産家は、資産を正しく使うことによって、神の国を大きく発展させることができる。

ビリー・グラハム大会で東京ドームを借り切って、何億も使ってその場限りのショーをやる。

しかも彼は「キリストだけが救いの道ではない」と公言している。

こんな人に億の金を使うべきではない。

私に同じ金があれば、海外の良書の翻訳と出版に使うだろう。

資産家の方はどうか考えてほしい。

自分に与えられているのは、賜物であるということ。

そして、自分が世界の未来を大きく変えることができるということ。

そして、それによって永遠の世界においてものすごい報いを受けられるということを。

これは資産家に特別に与えられたチャンスだ。

 

 

2009年12月9日

 

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