2世を嫌うな


よく2世議員や2世タレントが批判される。

「最初からメリットが与えられているのはおかしい。不公平だ。」というのがその理由だ。

これは、共産主義の思想である。

「人間はみな平等に作られている。だから、スタートラインは一致させなければならない」と。

しかし、人間は芸術的才能や知的能力、容姿などを受け継ぐように作られている。

厳密に言えば、「我々は平等には作られていない」。

これが、神の御心なのだ。

ならば、スタートラインを一致させるなど幻想だ。

「えっ、それじゃああなたは不平等社会を肯定するのですか?」と聞く人がいるだろう。

私はある意味において「そうだ」と答える。

人間の現実とは、どこに誰から生まれてくるかによって大きく差がある。最初から、差別がある。

我々日本人は、日本に生まれてきたことだけで、すでに「恵まれている」。

選ばなければ仕事はたくさんある。誰の家にもテレビがある。教育も受けられる。自然は美しい。食べ物もおいしい。戦争がない。徴兵制もない。電車は時間どおりにくる。電話をかければ、修理人がすぐにやってくる。世界では、こんなことは常識ではない。

世界の水準から見れば、まことに豊かとしかいいようがない。

もし「世襲制はおかしい」というならば、その人は、日本人が先祖から受け継いできたこの素晴らしい伝統や文化を捨てて、世界のレベルに合わせなければならない、ということになる。

2世議員や2世タレントや2世社長などを否定するのは、「低いレベルに全員を合わせる」共産主義の世界につながる。

2世を嫌う今の社会風潮こそが、学校教育におけるいじめの根本的な原因である。

「人間は生まれながらに不平等だ」という現実を受け入れ、財産や才能などを生まれながらに持っている人々を受け入れることなしに、社会は正常にならない。

格差是正とかいって、2世議員をけなし、「黒人枠入試制度」などある特定の恵まれない集団に属する人々に特権を与えるような社会はいびつだ。(60年代の公民権運動は共産主義的だ。)

しかし、私は、「競争においてルールを統一する必要はない」と言っているのではない。

この意味において私は平等主義者だ。

オリンピックを例に取ると分かりやすい。

我々は、親から優秀な遺伝子を受け継いだスポーツ選手にハンディを課すべきではない。

例えば、「室伏には10mハンディをつけよう。あいつは親父から才能を受け継いでいるから。」と言ってはならない。

「日本人はトラック競技で体格のハンディがあるから100m走で10m短くしよう」と言ってはならない。

競技では、同じルールを適用すべきだ。

それと同じように、社会においても、競争にハンディや特権をつけるのはよくない。

 

 

2007年9月8日

 

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