クリスチャンには堕落した自然を発展させる務めがある2


アダムとともに自然は堕落した。

だから、自然は、今傷を負っている状態だ。そのまま放置していると死んでしまう。

しかし、「母なる大地」のキャッチフレーズに象徴される自然主義は、自然を堕落していないもの、自然をそのままで存在できるものとして描く。

そして、それを人間が汚していると考える。

だから、自然主義者にとって人間とは厄介者である。

「人間などいないほうがいい。人間の数を減らしたほうが自然のためだ。」

こういった考えが生まれる。

今、西欧が騒いでいる日本の鯨漁やマグロ漁問題は、こういった思想が土台としてあるのだ。

だから、我々は、彼らが提示するデータそのものを疑うべきだ。

本当に、彼らがターゲットとしている種類の鯨やマグロは絶滅種なのか?

地球温暖化の原因となっているCO2犯人説や文明害悪論も同じように自然主義が根底にある。

このことを「証明」するために論者が提示したデータが改ざんされたものであることが、あるハッカーによって明らかにされた。

私は、同じことが鯨やマグロについて言えると思う。

今、国連をはじめとして世界の世論を主導している連中は、自然主義に基づいて世界を導こうとしている。

彼らの議論に巻き込まれると、最後には、「穢れた文明を撒き散らす人間を始末しろ」という人口削減論とか、「文明は悪だから、できるだけ科学の発展を押さえ込もう」というような反文明主義に陥りかねない。

我々は、こういった偽りの世論に流されず、きちんとした立場を保持しよう。

これら自然主義者は、ずっと、自然法思想を広めてきた。

聖書は、聖書法を唱えるのに対して、彼らは自然法を唱える。

この運動は教会をも汚染した。

教会は、聖書法を採用したがらない。

なぜならば、自然法でよいと考えているからだ。

「聖書が絶対だからすべての分野において基準とすべきだ、なんておかしいですよ。聖書によらずに人間はこれだけ科学を発展させ、法律を整備してきたではないですか。」と彼らは主張する。

彼らは騙されているのである。

サタンに。

サタンはエデンの園においてこう言った。

「神は本当に食べてはならないといわれたのですか?あなたがその実を食べても死にません。」

そして、エバはその「食べるのによさそうな実」を食べた。

神の法よりも、自分の印象に頼った。

特殊啓示よりも、自然啓示を優先した。

すべて自然主義者は、エデンの園において、禁断の実を食べたエバと同じである。

聖書法よりも自然法を選択するすべての教えは、それゆえ、異端であり、サタンに由来するのである。

 

 

2010年5月2日

 

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