戦後個人主義の正体


戦後日本に個人主義が入った。我々は、「我々は、愛国とかよりも、個人の幸福獲得に努めるほうがよい」という教育を受けてきた。

個人主義は、社会のアトム化戦略である。

我々は、聖書が伝える契約的思考をいっさい禁じられた。

契約的思考とは、個人だけではなく、集団の絆を大切にする。

だから、契約的思考においては、家族、民族、国家という集団のために自分の身を挺して働くということが賞賛される。

しかし、戦後、思想管理された日本の学校教育においては、愛国心や民族的誇りなどがことごとく否定されてきた。

むしろ、自国の過去を恥じるような自虐的な教育が行われてきた。

これは、最終的に国境を取り去り、世界を単一の政体にする人々による画策による。

陰謀的ユダヤ人だけは、民族的計画が許されている。

最終的に彼らが世界を支配するという。

クリスチャンにおいては、「家系の祝福」という考えが否定された。信仰は個人的なものであって、家庭とか、家系、民族という視点が失われた。

そして、個人伝道、大衆伝道、リバイバル、クルセードなどがもてはやされ、子弟教育が軽んじられてきた。

教育は、国家による管理教育にまかせ、それにより、子弟が信仰を継承できないという問題が生じた。

彼らは、キリスト教を個人主義にすることにより、クリスチャンを一代限りの浮き草にしようとしている。

そして、律法を捨てさせ、それにより祝福も奪い、キリスト教の弱体化を計ってきた。

今の教会の現状を見てほしい。

見事に彼らの計画によって瓦礫の山が築かれた。

めちゃくちゃにされた。

しかし、今、我々は敵の真中において出エジプトをしよう。神は、我々がこの奴隷の体制から解放されることを望んでおられる。

我々に知識が与えられているのは解放され、自由になるためだ。

サタンの支配は必ず終わる。神はサタンより強いからだ。


子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。(1ヨハネ4・4)

 

 

2008年5月24日

 

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