プレテリズムの聖書解釈15


<O様>
5)「それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。」(ローマ3:31)新天新地でも、旧約律法は道徳の規範とならないのでしょうか。「犬ども、・・・好んで偽りを行う者はみな、外に出される。」(黙示録22:15)

6)イエス様御自身が「「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これがたいせつな第一の戒めです。「あなたの隣人をあなた自身の陽に愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:37〜40)と言われて、旧約律法の重要性を強調されました。さらには「あなたがたに新しい戒め
を与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)このためにはやはり旧約律法の道徳・隣人愛規定を遵守する必要があるのではないでしょうか。

<tomi>

まさにおっしゃるとおりです。

イエス・キリストが教えた「新しい戒め」とは、申命記の律法の繰り返しに過ぎません。

ちっとも新しくない。

旧約律法とキリストの律法を何か別物として区別することはまったくできないのです。

もし、そのような「キリストの律法」なるものがあるとすれば、一体どこにあるのでしょうか。

フル・プレテリストは我々に明示できなければなりません。なぜ、旧約律法を捨てて、「キリストの律法」に切り替えなければならないのか。「キリストの律法」の内容が明らかにならない限り、まったく説得力はありません。

 

 

2004年11月26日

 

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