社会主義を捨てられない議員によって改革の骨が抜かれようとしている


(1)
自民党の反対議員が、郵政民営化反対の理由を「強者を守り、弱者を切り捨てることだ。」という。

「これまで、簡易保険は、審査なしで、危険な職業についている人も保険に入ることができ、いざ何かあれば、すぐに保険料を出した。しかし民営化されるならば、こういった人々を救済する手段がなくなる。竹中案は、こういった互助を大切にした日本の伝統を破壊しようとしている。」

「万人に利益を!」という社会主義の実験が失敗したことを忘れた愚か者の意見である。

国が財を一元管理し、国民に平等に利益を分配することによって、社会主義の国々はどうなったか?

つ・ぶ・れ・た・の・で・あ・る。

なぜか?

現実の世界は、こういった理想を受け入れることができなかったからである。

現実の世界、神が創られた世界は、「働きたい者が食べられる世界」であって、「働きたくない者も食べられる世界」ではないのだ。

神の世界から「働きたくない者」は排除されている。

「働きたくない者は食べてはならない」(2テサロニケ3・10)

聖書が教える社会は、働く意志のない者に生存権を保障しない。

しかし、社会主義が理想とする社会において、「働く意思」は生存の条件にはならない。

働きたくない者にまでお金を回さなければならない。だから破綻するのだ。

たしかに社会主義も「働かざる者食うべからず」というかもしれない。しかし、社会主義において、財を管理するのは公務員である。公務員は競争原理の外において働いている人々であり、また、財は自分のものではないからそれが無駄に浪費されることに切実な痛みを感じない。だから、やくざが生活保護をもらいにやってきても、精神病の認定書をもって怠け者がやってきても、生活保護の受給資格を与えてしまうのだ。そうして、毎月14万円ものお金がこれらの「本来生存権を保障されていない人間」に無駄にわたる。

小説家の浅田次郎が「世の中は才能があるだけではだめで、努力しなければ食べていけないようにできている。」と言った。

才能があるだけで無為無策な人間が生きられるようにはこの世界は作られていないのだ。

努力は生存権を獲得するための最低条件である。

国が財を一元管理するようなシステムは、この最低条件を満たしていない人間にまで生存の保障をするから破綻するのである。

このことは、世界が共産革命という莫大な代価を払って学んだ大きな教訓である。

(2)
郵政民営化に反対し、弱肉強食反対論を呈している人間は馬鹿ではないから、こういった教訓に気づいているはずだ。

となれば、なぜこんな議論を持ち出すのか?

社会主義制度の背後には、常に利権への野心があるということを忘れないようにしよう。

「弱者のために」とは国民をだますための口実で、彼らは自分たちの利権を失いたくないのだ。

年金、介護保険、郵貯、簡保…。これまで「国民の福祉のために」という口実のもとで政治家や役人が金を集めてきた本来の目的は、集めた金が生み出す巨大な利権にあったということを見ぬくことができなければ、いつまでたっても我々はいいカモである。

民営化は、これらの寄生虫どもの宿主を奪うことになる。

(3)
「自由競争、市場経済イコール弱者切り捨て」という図式は、寄生虫が用いる常套ツールであり、幻想である。

実際の世界は、このようなものではない。

自由な経済活動を保障し、高率の税金によって国から盗まれる心配をしなくてもよくなれば、企業家は安心して利潤追求活動に励み、創意工夫して国に富をもたらすだろう。企業家の繁栄は、雇用、安価な製品、納税を通じて、ついには国民全体の繁栄につながる。経済全体が底上げされ、ついには弱者と言われた人々にも恩恵が及ぶだろう。

アメリカも日本も一般の国民はこのようにして豊かになってきたのだ。

それにひきかえ、「万人に平等に利益を分配する」とうたった社会主義国はどうなったか?

万人が平等に不利益をこうむったのである。

民営化反対議員が持ち出している議論は、失敗者の経済の理屈である。

こんな連中に妥協したらいつまでたっても日本は変わらない。

 

 

2005年4月10日

 

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