御国を建設するために必要な資質


(1)
歴史の目的は、神の国の完成にある。

だから、サタンの攻撃の主要な目的は、神の国建設の妨害にある。

神は六日のうちに世界を創造され、その完成を人間の手に委ねられた。

人間は、天然資源を素材として、神的文明を建設するために創造された。

サタンの狙いは、人間を堕落させて、この神的文明建設を妨害することにある。

この意見が御伽噺に聞こえる人は、まだこの建設に携わったことがないからである。建設に携われば、すぐに強烈な妨害が始まることを体験できるだろう。

たとえば、教会の講壇や伝道においてポスト・ミレを唱えてみよう。不思議なことが起こるだろう。

教会の内外において異端や問題教会員が騒ぎ出すかもしれない。私は実際にこれを体験した牧師を知っている。

あなたが副牧師なら、主任牧師から免職を宣告されるかもしれない。

私はこれを体験した。任職の前に、はっきりとこの立場に立つことを宣言していたにもかかわらず、ある時突然、主任牧師が態度を変えて私を追い出しはじめた。

彼は私のために「長老のいない長老会」を開いた。呼ばれて行ってみると、長老は一人もおらず、席についていたのはセンター教会の牧師たちだけだった。ブランチ教会の牧師もいなかった。
主任牧師は、「長老たちには電話で判断を仰ぐ」と言った。

私はわが目とわが耳を疑った。気違い沙汰だった。

サタンがどれほど聖書的な教えを嫌っているかが分かる。

(2)
「種まきのたとえ」は、神の国の妨害の方法をはっきりと示している。

御国建設の妨害のためにサタンが用いる第1の方法は、「教えの歪曲」である。

「みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。」(マルコ4・15)

私が奉職していた教会は常々「聖書に固く立つ」と述べていたが、実際の内容は、半キリスト教半ヒューマニズムの折衷神学であった。

私が、律法を社会に適用しよう、と述べると、「聖書は世俗社会について述べていない」と反対した。

もちろん、神は世俗社会においても神であるから、神の教えが世俗社会には適用できないはずはない。この教会が祖と仰ぐカルヴァン自身は政治について、法律について、一貫して聖書から考え、ジュネーブの政治に適用していた。

今の聖書信仰の教会は、「聖俗二元論」であり、キリスト教を教会生活に限定している。神を「教会生活に限定される神」としてしまった。

サタンは大喜びである。世俗社会については、やりたい放題できるから。

クリスチャンが手を引いたので、政治において、経済において、文化一般において、サタンがやりたい放題やっている。

神は人間に「地を従えよ」と言われた。聖俗の区別などされなかった。文字通り「万物を」神の主権に従わせよと言われた。

そして、この使命が達成されない限り、「万物が回復しない限り」、キリストは再臨されない(使徒3・21)。

サタンはまず「御言葉を持ち去る」のである。正しい教えを歪曲し、人々から本当の聖書信仰を奪うのである。

(3)
神の国の妨害のためにサタンが用いる第2の方法は、迫害である。

「同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」(マルコ4・16−17)

開拓者になることを嫌う人が多い。

なぜならば、苦労が多いから。

一人で道なき道を歩むことには、すでに道ができているところを歩くよりも何百倍、何千倍もの苦労が伴う。

真理を実践することは、古い仲間からの離脱を意味することが多い。真理を主張すると、古い教えに満足している人々から拒絶されて、孤独に陥るだろう。

無数の誤解と戦わねばならないだろう。安定した職につくことも諦めなければならないだろう。家族とも別れなければならないだろう。結婚もできないかもしれない。

「また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。『主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してください。』ところが、イエスは彼に言われた。『わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。』」(マタイ8・21−22)

(4)
神の国を妨害するためにサタンが用いる第3の方法は、「気を散らす」ことである。

我々が、御国建設に集中できないように、サタンは様々な心配事を送ってくる。

「もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。」(マルコ4・18−19)

本当に大切なことは、御国の建設である。あとは雑音である。

熟達したクリスチャンは、雑音をシャットアウトする方法を身につけている。

献身を決意した人の前には、「必ず」忠告する人が現われる。

「君は、献身には向いていないからやめなさい。」とか。

「そんなことをするよりも、たくさん教会に献金できる人になるほうがいいのではないか?」とか。

忠告する人は善意でやっていると思っているが、実際はサタンに動かされていることが多いのである。

しかし、このような「忠告」がふるいになって、決心を固くしてくれるので逆によいのだ。

すべては益に変えられる(ローマ8・28)。

生活の心配とか、親族への配慮とか、いろんなことが起こってくるが、すべては雑音である。

「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイ6・32−34)

雑音の種は、人によってそれぞれ異なる。

サタンは、その人がトラウマを持っている分野を利用することが多い。

自分が不安定になりやすい領域、信仰を働かせることが難しい領域から崩されることが多い。

若い頃から金で苦労した人は、金で揺さぶられることが多い。病気で苦労した人は、体の不調がきっかけで気を散らされることが多い。

御国建設のために身を捧げようとしたが、これらの心配事にほとんどの時間を費やして何もできなかったということにならないよう、雑音をシャットアウトする術を身に付けるべきである。

(5)
サタンの主要な目的は、我々を御国建設から引き離すことにある。

我々は、まず御言葉をしっかりと学び、確信を持って、しっかりと前を向き、反対や妨害、誘惑、注意散漫に気をつけながら、意識を御国にだけ集中して歩みたいものである。

 

 

2004年9月4日

 

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