傲慢は誘惑に落ちる最短コースである


よく陰謀論を馬鹿にするクリスチャンがいる。

ブッシュ大統領やイラク戦争などについてのアメリカの公式見解を支持しているような人に多い。

もしこの世界にサタンがおらず、その影響もないというなら分かるが、この世界がサタンの術中にはまった世界であるという聖書の主張をまともに信じるならば、とてもそんなことは信じられない。

パウロは、エペソ2・2において、次のように語っている。

「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」

ここで、この世の人々は、「霊に従って歩んでいる」とはっきりと言われている。その霊とは、「空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊」である。

つまり、この世の人々は、サタンの霊に従って、それに騙されていると聖書ははっきりと教えているのである。

これで、どうして陰謀論が間違いだと言えるだろうか。

この歴史は陰謀の歴史である。

サタンは常にノンクリスチャンを用いて、神の支配を崩そうと狙っている。

ノンクリスチャンは、意図すると意図しないとに関わらず、サタンに利用されている。

サタンの働きをまともに信じようとしないクリスチャンの中には、私がサタンについて発言すると、「そんなサタンなんて聖書の時代の話でしょう。」という人がいるが、愚かである。

そもそも聖書をまともに信じていないというところが、すでにサタンによって盲目にされている。

サタンは自分を隠す天才である。だから、サタンはあたかも我々の周りにいないかのように振舞う。

教会でもサタンの攻撃について信徒に教えない教会があるが、画龍点睛を欠くである。

私はサタンについて教えない牧師がいることを非常に不思議に思う。なぜならば、まともに聖書のとおりに生きることを選択すれば、必ずいろんな形の攻撃に会うからだ。

「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。」(2テモテ3・12)

信仰生活とは、「サタンの攻撃の仕方と対処の方法において熟達する過程」と定義してもよいくらいである。

巧みな攻撃の方法については、まさに体験で学ぶ以外にないとすら言える。

経験を積むと、いろんな攻撃を嗅ぎ取ることができるようになる。

ソ連に聖書を運ぶ働きをしていたとき、我々日本人が町を歩いていると、よく日本語を話すロシア人が近づいてきた。そして、「私には日本に友人がいて、お金を渡したいのですが、持っていってもらえませんか。」と言う。

もし、この話に乗って、ルーブル紙幣を持ち出せば、税関で必ず逮捕されただろう。なぜならば、ソ連ではルーブル紙幣の持ち出しは禁止されていたからだ。

つまり、彼は罠にかけようとしたのである。

巧みな攻撃や罠を、クリスチャンは日常的に体験している。では、なぜクリスチャンがこれをサタンの攻撃と悟れないかというと、「罠にかかることが正常になっているから」である。

クリスチャンは罠にかけられて、次第にノンクリスチャンと同じ考え方をし、まるで生まれ変わった新しい創造ではないかのような、喜びも活気もない人間に変えられてしまう。

そして、御国のために何の貢献もできず、かえって御国を破壊するようなことをして一生を送るように仕向けられるのである。

霊的にボケてしまい、救いを伝えることも、世の中を神の御心にかなったものに変えることも、どうでもよくなってしまう。

そして、偽りの伝道者などにひっぱられて、的外れなものに熱をあげ、無駄なものにお金を費やすように導かれる。霊的審美眼が破壊されるので、本当に重要なものと、なくてもよいもの、有害なものとの区別ができなくなる。

牧師の場合、自分が何かの賞をもらったとか、TVで紹介されて有名になったとか、大きな会堂を建てたとか、礼拝人数が何百人になったとか、教派の中で責任ある立場に出世したとか、神学博士号を取ったとか、あってもなくてもよいようなつまらないことにこだわり、自己推薦するようになる。

先日、TV番組で、あるヨーロッパの小さな村の中世の教会の壁にかかれている絵が映し出されていた。そこには、神父が一本の細い橋の上から落ちて、地獄の火の中に落ちつつあるという図であった。

昔から、神父や牧師は様々な誘惑を受けてきたのである。

サタンは、彼らの人生の中で、目の前にいくつかの美味しいご馳走を提供する。名誉、地位、お金、女、権力、異端の教えなどである。

それに飛びついたら最後である。ずるずると引き込まれて、最後には破滅してしまう。私は非常に有名で優秀な牧師が、後継者問題を契機に無実の長老を引き摺り下ろして教会員の信頼を失い、それまでのミニストリを台無しにするのを見た。また、ある牧師はユダヤ教徒になり、それまで自分が語ってきた教えを完全に否定した。

愛人をかかえる者、新興宗教から金をもらう者、営業マンに金額無記名の領収書を要求する者・・・。牧師が堕落しないのを見た悪魔的な人間が、奥さんを誘惑し、牧師の評判を落とそうとした事例も知っている。

クリスチャン、とくに、教職者に対して、サタンは、ありとあらゆる手段を使って、堕落させようとしている。

サタンがやりたいのは、聖霊の火を消し、御国建設の熱意を冷ますことである。彼は、この地上において御国が拡大することを何よりも嫌っている。

教会の規模によって「成功した牧師」「失敗した牧師」という区別をする今の風潮は、サタンにすっかり騙された結果である。

教会成長学という誘惑の学問に騙された牧師たちは、信徒一人一人を守り育てるという本来の使命から離れて、会社の社長のようになり、教会運営をビジネスと同じものと見ている。

この掲示板を見ても分かるが、サタンは、こちらのちょっとした隙をついて攻撃しようと狙っている。

誘惑に陥らない唯一の秘訣は、「謙遜」である。

いつも、自分は神の恵みによって生かされている、すぐに道を踏み外す愚か者だ、と告白し、神に赦しを求めることである。

「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。」(詩篇19・13)

傲慢は誘惑に落ちる最短コースである。謙遜に注意深く歩む以外に正しく歩む方法はない。

そうすれば、必ず神は我々を守ってくださる。

「誘惑が強すぎるので、罪を犯しました」というのは虚しい弁解である。

なぜならば、神は我々を誘惑から守ってくださるからだ。

神は、「あなたがたを、つまずかないように守ることができ・・・る方」(ユダ24)である。

誘惑に落ちたならば、それはもっぱら自分の責任である。

「神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」(1ヨハネ5・18)

 

 

2004年8月4日

 

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