明治維新の本質4


近代国家における参政権とは、一種のカモフラージュである。

「あたかも、主権が国民にあるかのように見せかけるための」。

実際、民主党に投票して政権交代が起こったが、実質的に政府の支出は減らない。

むしろ、アップした。

景気の問題の解決を求めた国民を前にして、どうどうと別の問題「外国人参政権問題」に真っ先に取り掛かる。

国民は、自民党が民意を反映しない政治を行いすぎたので民主党に投票をしたはずだ。

しかし、民主党はまったくそのためには機能しない。

「仕分け」なんてのも、まったくの見せ掛けであり、騙しだ。

6000件あるうちのわずかをちょこちょこいじって、「このように無駄を排除しています」とアピールしているだけ。

民主主義なるものが本当に存在するならば、自分の利益と関係ない戦争に国民が借り出されるはずがない。

アメリカが戦争を続けてきたのは、騙されたからにほかならない。

パール・ハーバーも、戦争にうんざりしている国民を奮起させるために起こした策略だ。

911事件も同じ。中東で戦争を起こすために仕組まれたもの。

日本が戦後、戦争をしなくなったのは、アメリカがするなと命令したからにほかならない。

日本は、世界政府に対して金を拠出する役割を果たすために選ばれたから、戦争するよりも産業を活発にするほうがよいと定められたからだ。

「民意によって政治が動いている」なんてものは幻想に過ぎない。

この世界は、金を持っている者によって動かされる。

金を持つものとは誰か。

中央銀行だ。

なにせ、無から金を作りだせるから。

戦争が起きるのは、中央銀行の株主がそう希望するから。

議会で決定されたとかなんとか、は、飾りである。

議員は、中央銀行の株主が書いた筋書きどおりに動いているだけ。

小泉が「本当に優れた政治家とは、自分が主張していることと逆のことができる政治家だ」と述べた。

あたかも民衆のためにやっているように見せかけながら、逆のことを行うのが国家の指導者である。

極端に言えばそういうことだ。

 

 

2010年5月26日

 

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