キリストの妻は教会である


ダビンチ・コードなる映画が上映されているらしい。

イエスには妻がおり、それがマグダラのマリアだったと。

もしイエスがマグダラのマリアを娶っていたならば、イエスは重婚者になるのでこのストーリーは間違いである。

なぜならば、聖書は一貫して、イエスの妻は教会である、と主張しているからだ。


「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。(エペソ5・31-32)

教会は、キリストのからだであり、我々クリスチャンは、そのからだの一部である。

教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ1・23)

私たちはキリストのからだの部分だからです。(エペソ5・30)

一部でしかない個人がキリストの妻になることは不可能である。

カトリックの尼僧の格好は花嫁のそれであるらしいが、自分のことをキリストの花嫁と考えているならば、まったく間違いである。

なぜならば、もし無数の尼僧とキリストが結婚しているとすれば、世界一の重婚者になってしまうからである。

キリストは、一人の妻である教会と結婚したのである。

我々クリスチャンは、その妻を構成する一つ一つの細胞または器官である。

ダビンチ・コードのように、聖書に関する「聖書に基づかない」主張は冒涜であり、このような作品にかかわり、それを宣伝し、そのような間違った教えを広め、キリストの栄光と真理に対して恥辱を与える者は、必ず呪われる。

「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。」(1コリント16・22)

 

 

2006年5月20日

 

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