福音の扱う領域を限定することは罪であり異端である


福音の扱う領域は、神の創造の全領域である。

なぜだろうか。

神は人間を創造された際にこういわれたからだ。


生めよ。増えよ。地を満たせ。地を従えよ。(創世記1・28)

人間には、この地上を神の御心にしたがって統治する使命が与えられた。

この使命が廃棄されたことを証明する箇所は聖書のどこにもない。

イエス・キリストが地上に来られたのは、この原初の使命を回復するためであった。

つまり、イエス・キリストにつくクリスチャンは、アダムに与えられた「地を従えよ」との命令を全うする責任がある。

この責任を回避することは、神に対する命令違反である。

もし、この責任がないとするならば、聖書からそのことを証明しなければならないができるはずがない。

なぜならば、そのような箇所は存在しないからだ。

福音をある領域に限定することは罪であり、それも、「地上統治」という人間の与えられた根源的な責任の回避であるから、根源的な罪である。

これは見逃しにできない問題であり、我々は、このような異端の教えを奉じる自称クリスチャンを一切退け、付き合うことを避けねばならない。

聖書は一点一画たりとも変更を許されない絶対的な基準である。

我々から、地上統治の使命を奪う教えは偽預言という罪であり、聖書において厳に禁止されている。

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。(黙示録22・18-19)

聖書から自分の勝手な都合や考えで、特定の箇所を取り除く罪は、永遠の命を失う罪である。

我々は、このような罪を意図的に犯す人々と付き合ってはならない。

私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。(1コリント5・11)

あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。そういう人にあいさつすれば、その悪い行ないをともにすることになります。(2ヨハネ10−11)

あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。(1コリント6・9)

 

 

2009年1月21日

 

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