ハリウッドにだまされるな2


ペットブームだ。

動物を愛護するのはよいことだ。しかし、「だから動物を殺すのは悪いことだ」「イルカを殺して食べる?残虐だ」とか「鯨は食べてはならない。あのようなやさしい動物を捕獲してはならない」というのは、行き過ぎだ。

人間は、動物を殺すことによって生きるようにできている。

アベルは動物を殺すことによって神に義と認められた。

人間には動物性たんぱく質が必要だ。

草ばかり食べていると、おかしくなる。

人間には、生臭いものが必要なのだ。

家畜は、人間が食べるように神が与えられたものだ。

マグロや鯨は人間の栄養となるべく作られている。

すべての動物は食べてもよい、と神はペテロに言われた。

だから、「鯨を食べるなんて残虐だ」とかそういった憐憫の情は、不道徳なのだ。

神が「食べなさい」といわれたのを「そんな残酷なことできません」というならば、それは、神に敵対していることになる。

神よりも自分は賢いと宣言することになるからだ。

だから、「殺生はよくない」ということで行われる菜食主義や鯨漁反対運動は不道徳なのだ。

「自分が育てたペットを殺すことなど私にはできません。だから、モンゴルの遊牧民が家畜を殺すことなど私には想像もできない」というなら、その人は、どこかおかしくなってしまったのだ。

家畜を飼う民族は、生まれたときから知っている羊や豚や牛を殺すことができる。

家畜と普段無縁な我々には抵抗感がある。

しかし、その育てた動物を食用などに殺すということが日常の生活こそが人間にとって自然のことなのだと思う。

なぜならば、「それは神が我々に食用として与えられたから」という聖書的根拠があるからだ。

人間は動物の犠牲のうえに生きていくことができるということは、神がたてられた制度である。

だから、それを否定することは不道徳であり、罪であり、神への反逆なのだ。

 

 

2010年3月10日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp