新改訳の問題点


新改訳はディスペンセーショナリストのプレ・ミレに立つ人々によって訳されているため、終末論に関する個所において誤訳がある。その代表がマタイの最終部分、大宣教命令に関する部分である。

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28・19-20)

ここで「あらゆる国の人々」というのは、原語では、παντα τα εθνηである。παντα は「すべての」という意味で、ταは定冠詞。εθνηはThayer's Greek-English Lexiconには"like goim in the OT, foreign nations not worshipping the true God, pagans, Gentiles" つまり、「旧約聖書におけるゴイムのように、真の神を礼拝しない外国の民族、異教徒、異邦人」である。

であるから、ここは「あらゆる異邦の民族」とか「あらゆる異教徒」、「あらゆる異邦人」と訳すべきである。

「あらゆる国の人々」と訳すことによって、読者に「大宣教命令によれば、我々は、各国や民族のうち一部の人々を弟子とすればよいのだ」と誤解する隙を与えてしまう。

実際、プレ・ミレはこのように大宣教命令を解釈している。マタイ24章の「この御国の福音が世界中に伝えられ、それから終わりがきます」という預言と組み合わせて、「各民族の中から一人でも救いに導かれ、各国民の代表者が揃えば、大宣教命令は成就したことになるので、再臨だ」と考えているのである。

しかし、原文では、「各民族の一人でも救われるようにしなさい」ということではなく、「すべての民族を弟子とせよ」と述べられているのである。つまり、一人や二人救われればよい、というのではなく、その民族全体が弟子となることが目標であると言っているのである。

だから、クリスチャンが日本人の1%しかいないような状態では再臨はありえない。日本民族そのものがキリストの弟子となる必要がある。そのためには、日本においてクリスチャンが多数派にならなければならない。

現在韓国では民族の弟子化が進んでいる。クリスチャンのパーセンテージは4分の1とか3分の1だと言われている。これくらいクリスチャンが多数派を占めることができれば、韓国民族の弟子化は夢物語ではない。聖書に基づいて様々な制度や考え方が作り変えられるだろう。

新改訳の訳文はこのほかにも人々にプレ・ミレを確信させ、正しい意味を伝えていない個所があるから終末論に関しては注意が必要だ。

大宣教命令は、オリンピックのように「各民族の代表者が集まるようにしなさい」と命令しているのではなく、民族を丸ごと弟子にすることを命令しているのだ。

 

 

2004年5月12日

 

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