再建主義批判のサイト(米)への応答1


「新しい「クリスチャンの」異端審問のルーツ?(Roots of a New "Christian" Inquisition?)」という題で再建主義を批判しているページがあったので、応答したいと思う。

http://www.rapidnet.com/%7Ejbeard/bdm/Psychology/cor/notes_on.htm

<RNCI>
1960年代に、改革派神学(または、契約神学)の中で、主に保守的な長老主義(改革派及び正統派)の中から、新しい運動がはじまった。この運動は3つの名前で呼ばれてきた。再建主義(リコンストラクション主義)(社会の再建を唱えるので)、統治神学(聖書的キリスト教は、社会のあらゆる分野を統治すべきだと説くから)、セオノミー(2つのギリシャ単語theos[神]とnomos[法]の組み合わせ――社会はすべてモーセ律法に服従しなければならないと説くから)。
この運動は、改革派や契約神学の陣営の全員が主張しているわけではないことに注意すべきである(12/90, Israel My Glory) 。 再建運動とその仲間、支流は、福音宣教の代わりに、政治的・文化的活動に携わることによって、また、救済論の代わりに終末論を説くことによって、さらに、福音そのものを台無しにすることによって、ローマ・カトリックの政治活動の道具となってきた (3/02, The Trinity Review)。

<tomi>
前半はよいが、後半は誤解である。

(1)
再建主義は、「福音宣教の代わりに、政治的・文化的活動に携わる」ことを<していない>。

R・J・ラッシュドゥーニーが繰り返し主張しているように、社会においてどんなに政治・文化活動をし、立派な政府・文化を作っても、構成員の心が変わっていなければ何にもならない。

再建主義は、イエスが始めた本当の改革、つまり、心の変革を第一とする。まず、「再生」することである。まず、福音によって生まれ変わることである。心が神と和解し、人と和解することである。へりくだった心は、神の法を愛し、それを守ることを喜ぶようになるから、自然と神との不調和、人間との不調和は改善される。

我々の優先順位は、1.回心、2.対神関係の改善、3.対人関係の改善、4.対自然関係の改善である。

キリストにおいて心がまったく変わり、聖霊を受け、神の心がわかるようにならない限り、政治活動をやっても無意味である。

(2)
我々は、「救済論の代わりに終末論を説」いてなんかいない。

救済論も終末論もどちらも大切である。我々は、キリストによる全人的救済を説く。それとも、R・J・ラッシュドゥーニーの「組織神学」には、救済論がないのだろうか?ちゃんとあるから、RNCIの諸君はよ〜く読みなさい。
批判者は、自分が批判する対象を正確に把握しなければならない。

批判する人間は、他人の「チリ」を取ろうとする前に、まず自分の目の中の「梁」を抜きなさい。

 

 

2006年2月21日

 

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