格差是正にこだわると国力は低下する


最小政府論を説くと、必ず「じゃあ、格差が広がることになるがいいのか?」という反論がくる。

格差は自然の理であり、我慢するしかないのだ。

イチローのような天才は、一人で100人分の給料をもらう。

なぜか?

それだけ市場において利用価値が高いからだ。

どの業界でもこういう格差はある。ものすごい業績を上げる人間はいる。

そしてそれに応じてものすごいペイをもらう人間はいる。

自由社会になればなるほどこのような格差は大きくなるだろう。

自由社会、そして、資本主義の社会では、資本は優秀な人にどんどん集まって、そうではない人からどんどん逃げていく。

だから格差は広がる。

しかし、このような格差拡大は「悪」なのだろうか?

ノー!

優秀な人に金を出してその人に優秀な仕事をしてもらうことは社会にとって利益になる。

ペイがよければ、その優秀な人はどんどん自分の会社を大きくして大きなことをやり、そして、その優秀な事業は拡大して、社会はますます便利になる。

いいことだ。何も悪くはない。泥棒しているわけではない。殺人しているわけではない。

「格差は悪ではない!」

いやむしろ、格差があるということは、優秀な人がそれだけ評価されている社会ということだから、よいことなのだ。

内側だけ見るから間違う。

外側から見てみよう。

日本社会が格差を認め、自由を認める社会になって優秀な人がどんどん豊かになれば、当然彼が納める税金の額が増えるだろう。

だから、社会全体を潤していく。

豊田市のような企業城下町は、トヨタのような有名企業によって、税収や雇用の面で大きな利益を受けるだろう。

つまり、格差によって、社会全体が底上げされることにより、社会全体の幸福度が増すのだ。

たとえ中流が減ったとしても、貧困層が他の国の中流もしくは場合によっては上流になればいいじゃないか。

突出した金持ちがいることは、底辺が貧困になることを意味しない。

日本のサッカーが強くなったのは、Jリーグを立ち上げて、全体に底上げを行ったからだ。

Jリーグで実力勝負させて、優秀な選手に豊かに報いて、サッカー選手が憧れの職業になり、運動神経の優れた子供たちが集まるようになれば、全体の実力がアップする。

内部を見れば、1億もらう選手もいれば、1年もたたないうちに戦力外通告される選手もいる。

格差は大きくなるが、しかし、全体で日本サッカーの実力がアップしていき、サッカー業界に資金が集まる。

格差にこだわって、優秀な選手の年俸を抑えて、それをそうではない選手に分け与え、全体的に平等にしたら、サッカー業界に子供たちは夢を見ないから、だんだん業界全体が冷えていくのだ。

格差にこだわることは、「全体で貧乏になろう」ということであり、国力の全体的な低下につながる。

間違った平等思想を捨てよう。

 

 

2010年12月7日

 

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