救済中心ではなく神の栄光が中心である


<Sugi様>
最近、気がついたのですが、日本の教会の無気力さは、聖書解釈における redemptive-historical method に大きく起因しているのではないかということです。

redemptive-historical method においては旧約聖書は、まず第一義的に、来るべき救い主の到来を啓示するために書かれており、聖書のすべての箇所は救い主とそのお働きに焦点を合わせていると主張します。

* * *
聖書解釈としては、まず gramatico-historical method があり、そこにredemptive-historical method が関わると 私は理解しています。


「redemptive-historical method がすべてだ!」という立場をとると、「聖書律法がキリスト者の基準であり、その適用は今日においてもなされなければならない」という立場は退けられるようになってしまうのです。

なぜなら、redemptive-historical method オンリーとする人々は、「Theonomy は、キリストが聖書の中心であるということをぼやけさせてしまう」という主張に立つ傾向を持つからです。

そこから、「聖書律法は成就されているので、今日的な意味を持たない」となり、そこに一般恩寵論が絡んで、「この世の基準も十分に正当性を持つ」ということになり、ついにはキリスト者が持っていなければならない、聖書的世界観と非聖書的世界観の衝突という視点は失われてしまうのです。これは改革派/長老派圏内にみられる傾向です。Westminster Theological Seminaryにはかなりこの傾向が強いです。 日本における、いわゆるカルヴィン主義の教会の説教は redemptive-historical method から強い影響を受けています。


そのために、説教は終始、「救い」に終始してしまいます。Rushdoony は、もっとも重要なことは「救い」ではなくて、「神の栄光」であると言っています。

"In a religion in which salvation is central, however much Christ is named, we have the triumph of humanism."  R.J.Rushdoony, Romans & Galatians(Ross House Books 1997)p. 58

Redemptive-historical preaching は聖書の適用について、著しく弱いため、教会は無力となり、そこに悲観論的終末論が加わり、信徒は拡大された一般恩寵論の援護射撃のもと、この世の価値観に飲み込まれていってしまうのです。

聖書律法がなければ、キリスト者はこの世において生きて行く指針を何も持たないことになってしまうのです。だから、日本の教会は閉塞状況となってしまったのです。


<tomi>

Sugi様

おっしゃるとおりです。
まったく賛同いたします。
これは、おそらくカルヴァンの立場ではなかったと思います。
カルヴァンは、神の栄光を中心に考え、救いをその中の一つの手段と見ていたと思います。

だからこそ、カルヴァン主義者は、歴史的に「全領域における神の栄光の顕現」を求めていたのではないでしょうか。
「選び」の教理も、救済中心ではなく、「神の立場に立って考える」考え方に基づいています。

ウェストミンスター神学校をはじめ今のカルヴァン主義者たちは、福音派を支配しているアルミニウス主義と世俗のヒューマニズムの「人間中心主義」の影響を強く受け、結局、カルヴァン派の伝統からずれてしまったのではないでしょうか。これは一種の世俗化の現象であると思います。

この立場は、人間中心ですので、救済ですべてが完結してしまう。救済完了後のクリスチャンの生活とは、「余生」になる。もちろん、自分を退職後の人と見るか、現役の人と見るかの差は大きい。

福音派を含め、カルヴァン派も、ほとんどすべてのクリスチャンが自分の人生を「老後の悠々自適な生活」のように考えるようになった。それが、キリスト教からエネルギーを奪っている。

私は、正しい教理を回復し、クリスチャンを現役選手に戻すべきであると考えます。

クリスチャンは、「世界のエデンの園化」のために生涯をささげなければならない。

キリストの救いとは、「それで完了するようなもの」ではなく、クリスチャンをアダムの原初の立場に返すことである。

つまり、神から使命を与えられて地球を開拓する者に復帰した。

「地を従えよ」との命令を再度与えられた。

だから、今、再建主義は、唯一、クリスチャンを正しい位置に戻す正統的な思想ではないかと考えるのです。

これこそが、キリスト教の復興の鍵であり、神は我々を通じてすべてを回復してくださる。ヒューマニズムに押されっぱなしであったこの世界をあるべき姿に戻すのは我々の働きをのぞいてほかにはない。

そのように考えます。

 

 

2010年2月7日

 

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