平等幻想からの解放2


この評論家は、中流人口が減れば、家電製品などを買える人々が減るわけだから、企業が正社員制度をやめて契約社員にすればそれだけ市場を狭めているのだ、という。なぜならば、金持ちは金を使わず貯めこむ傾向があり、貧乏人は購買力がないからだと。

私は、今の体制のまま2極分化が進めば購買力のある人々が減る恐れはあると思うが、だからと言って自由化を止めて昔のように累進課税制度によって金持ちから奪い取るのがいいのだと結論するのは間違いだと思う。

過大な税負担はどの階層に対してであっても、その人々のやる気を奪うのである。高額所得者でも、自分の所得の90%から50%も取られたらやる気を失うだろう。

我々から見れば、「取られた後でも何億も収入があればいいじゃないか。」と思われても働いている当人にとっては、「冗談じゃない」という気持ちになるだろう。国の運営に実質的な影響力を行使する高額所得者がやる気を失うことは国にとって非常に大きなマイナスである。

主に累進課税や相続税はマルクス主義の発案であり、私企業、家庭の崩壊が目的なのである。神が立てた正当な制度に対する略奪であり、悪魔的な制度なのである。

このような不公平な税制が最近幾分是正されたことはよいことだ。

しかし、国は、高額所得者や企業に対する税率引き下げによる税収不足を、消費税という形で国民全体に広く浅くかけるという計画らしいが、これは日本の社会を崩壊させる新たな政策である。

ただでさえ所得が減って苦しくなっている中流や低所得者に対して、15%の消費税をかければ、当然のことながら人々の購買意欲は劇的に減少する。

そうすれば、いつまでたっても景気はよくならず、日本のダウンサイジングはますます進む。家計が苦しいので夫婦は子供を産みたがらないし、何をやっても税金で消えていくならば、労働や起業がバカらしくなるだろう。

問題は、福祉国家の理念にあるのだ。各政党とも福祉国家がよいものだという常識があるし、国民もそれを求めているが、そんなの幻想である。

高い税金を使ってスポーツセンターを建てるよりも、企業の税金を抑えて、スポーツジムを作らせたほうが安くてよいものができる。

なぜならば、民間の場合、スポーツジムはそれを利用する人々だけが費用を負担するからだ。しかし、公立のジムの場合、それを利用しない人も負担しなければならない。少ない資源をピンポイントに配分するには、民営化が一番である。

公立学校を建てるよりも、税金を安く、無駄な規制を撤廃して民間企業が学校を建てやすくすればよいのだ。今や、公立学校の教員の給与は一流企業の社員なみである。恩給を合わせるならばはるかに待遇はよいだろう。

民間の場合、能力がなかったり、不祥事を起こした教員はすぐ免職にできるが、公立学校ではできない。非効率このうえない。予備校など、常にビデオカメラによって授業のやり方が監視され、また、アンケートによって生徒からのチェックが入り、教え方がヘタな教師はすぐクビになる。

こうでもしなければ学校経営が成り立たないほど競争は激しいのである。人件費の有効活用はどちらのほうが優れているか火を見るより明らかだ。

「わが党は、学校の教員の数を増やし、30人学級を目指します」なんて言っているのは、時代錯誤もはななだしい。教員を増やせばそれだけ税金が非効率的に使われる可能性が高くなるのだ。

もう国家が人々の生活の面倒を見るべき、という常識を捨てることだ。もし公立学校を残したいなら、独立採算にせよ。そして、社会のニーズにこたえられず、経営に行き詰まったらつぶしたらよいのだ。

つぶれた学校の教員は、そこで公務員の資格を失って、自分で職を探す。教員として向いていない人は、自分に向いている仕事につくことができるので、精神衛生上もよいだろう。

国が国民の生活の面倒を見ます、というマルクス主義の間違った理念そのものを捨てる以外に、脱出の道はない。そうしないと、これからますます国民は税金を取られ続け、ますます購買力が落ち、国内市場が疲弊し、家庭も疲弊し、子供を産まず、労働人口も減少し、国力は落ちて行くだろう。

福祉国家の理念を温存するあらゆる試みを捨てよう。聖書が命じるとおりに、税金を10%未満に抑えよう。

家庭の可処分所得を増やすことによって、家庭に力を戻そう。

年金や生活保障がなければ老後の心配がある。安心して今を生きることができなければ、労働意欲も落ちるだろう、と言うかもしれないが、ドラスチックな減税によって家庭に余剰収入が残れば、家庭は自分で自分の将来の蓄えをするだろう。わけのわからないところに使われ、ドブに捨てられるよりも、個人年金として民間の銀行に預ければ、銀行がそれを有効活用するだろう。

とにかく国が関与する領域を減らす以外に方法はないのだ。頭のよい東大卒の官僚たちはこれくらいの理屈はとうの昔にわかっているはずだ。しかし、それを変える勇気がないのだろう。省庁が生き残っても、国が滅んだら何にもならない。

今蛮勇を奮える政治家と官僚が現われない限り、日本は取り返しのつかない状態にまで落ちる。国家経営は目に見える形で破綻する。もし今その目先の利益を優先する行動を止めなければ、後世の人々に無能もしくは売国奴呼ばわりされるだろう。

 

 

2004年5月14日

 

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