非聖書的世界観に基づく現代語訳聖書


<O様>
1.無教会派の塚本虎二の「福音書異同一覧」(新地書房)の解説に、こう記されています。


・・・それなら今日私達が使っている聖書はどうであるか。邦訳がそうであるように、今日各国語訳の進歩した聖書は多く「現代の公認正文」と言われるNestleの校本によっているようであるから、大体に於いて正確である。しかし次のことを忘れてはならない。

1516年にエラスムスが始めてギリシヤ語の聖書を編纂した時に用いたものは、後で説明するように、凡てのテキストの中で一番悪いと言われる所謂コイネの小文字写本であった。これが16世紀以後のプロテスタント教会の公認正文となり、ルーテルもそれから訳し、各国語の聖書もそれを写本にした為、ほと殆ど4世紀近くの間この悪いテキストが各国の聖書の台本になっていた。

これは基督教に取り極めて不幸な出来事で、その後良い写本の発見や正文学の進歩によって漸次改訂されつつあるが、それでも一旦聖書として信者の頭に印象された悪影響は、聖書の改訂を拒んで、なかなか消え失せない。

例えば英国の欽定訳(Authorized Version)は1611年のもので、正文の点からは到底今日使用できぬものであるにも拘わらず、今に至るもなおそのまま英語民族の聖書である。これがどれだけキリストの福音の正しき理解を邪魔しているか知れない。

邦訳は幸いにしてNestle(英国版)によったが、それでもまだ16世紀の公認正文から離れ得ずにいる点が少なくない。しかし私達は真の聖書ー聖書記者達が書いたままの、原本に出来るだけ近い聖書を求めねばならない。現にNestleの独逸版は殆ど毎年のように改訂版を出している位である。・・・(原文は旧字・旧仮名使い)

いかにも無教会派の言いそうなことですが、日本だけでなく、ほとんど全てのプロテスタント教会・神学校は同じ考えなのでしょうね。

だから「KJVは古い。もう使わない。新しい聖書が正しい翻訳だ。」と言うことになる。

新改訳には、欄外に異同欄がありますが、もうスカスカです。例えば第一ヨハネ5:7の大幅カットには全くふれられていません。手元にあるのは第2版ですが、確か第3版は、もっと削除されていた記憶があります。

「基督教に取り極めて不幸な出来事」

「これがどれだけキリストの福音の正しき理解を邪魔しているか知れない」

そっくりそのまま、突き返してやりたくなります。

<tomi>
「しかし私達は真の聖書ー聖書記者達が書いたままの、原本に出来るだけ近い聖書を求めねばならない。」

これには異論はない。原本に近いものは何かとたずねていったときに、マジョリティ・テキスト、Textus Receptusのほうが正しいと私たちは考える。

塚本は、リベラルです。リベラルの考え方は、信仰よりも科学です。

信仰はこのように言います。

歴代のクリスチャンによって採用され、圧倒的多数(90%)の写本群(マジョリティ・テキスト)が互いに似通っていて、それが広くクリスチャンの世界の間に長年の間(1400年以上)広まっていたということは、それが真正な聖書に近いことを証明している。

科学はこのように言います。

クリスチャンが1400年以上使用していたかどうかは関係ない。(アレキサンドリア)写本群が互いに違いが大きいか小さいかも関係ない。考古学的に年代が古いほうが正しいと結論すべきだ。

前者は、「神は御民を正しく導いてこられた」という信仰に基づいていますが、後者は、「神は御民に真理を知らせずにきたという可能性もある」と考えます。

前者は神の契約に対する誠実性を重視しますが、後者は重視しません。

前者は、「写本群が互いに類似しているのは、それがクリスチャンによって信用されていたからである。誠実な神は、クリスチャンを導いてこられたはずだから歴史的に多数派が採用したものを重視すべきだ」と考えるが、後者は、「写本群が互いに類似しているのは、つじつまあわせがあったから。クリスチャンの多数派が歴史的に何を選択したかは実証的に見ればいかなる意味もない」と考えます。

信仰か科学か?

私たちは、1400年もの間御民に御言葉を隠される神を信用できますか???

最近、新しい福音書が出たとか言っているが、もし神が誠実なお方ならば、どうして2000年もの間、真理を隠してこられたのでしょうか。

リベラルは、契約的に世界を見ないで、すべてをアトム化します。

それは、現代科学が、そのように「文脈の存在しない世界」というカントの世界観を反映しているからです。

クリスチャンは、個物と個物を神に創造されたものという文脈で関連させて把握しますが、神とその創造を否定する現代科学は、それらの間にいかなる文脈や紐帯をも見出すことができません。

だから、現代科学は非契約的思想であり、クリスチャンの思想とはまったく異なるものです。

現代のクリスチャンは、愚かにも、このカント流の非契約的世界観を採用し、聖書写本の選択に適用した。

契約的誠実という重要な概念を否定して、神を裏切り者扱いする考え方を採用した。

今の聖書は、宇宙を非人格的に捉える偽キリスト教の産物であり、宇宙を人格的に考える聖書の世界観にのっとった正しい写本を選択できるように働きかけなければならない。

 

 

2009年8月30日

 

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