他人の罪が目についてしょうがない人はまず自分の罪を扱え


<Guest>
貴兄には『不可知』は存在しないのですか?
『不可知』を認める事は『反近代、反科学、反学問』
ではありません。
健全な学問には『不可知』が存在不可欠です。
キリスト教信仰の有る無しに関わらず、『不可知』
を認める事が「傲慢」や「尊大さ」から学問を守る。

<tomi>
私は、不可知を認めないとかどこでもいっていません。
なぜ想像だけでものを言うのでしょうか。
話になりませんね。

<Guest>
進化論は科学ではない。
では科学でない疑似科学、進化論を
科学の土俵で論破する理由はなんですか?
進化論は科学的に間違っているだけでなく
宗教を脇に置いたとしても道徳的にも
大変問題のある考え方なのです。
それは進化論は傲慢だからです。
『傲慢』は人間の作った宗教でも
大問題です。
貴兄は宗教家なのだから進化論の
道徳的な問題を指摘すれば貴兄の
神様と人間に対する責任は十分果たした
ことにはなりませんか。
こういった疑問も『反近代・反科学・反学問』
に毒された人間の妄言と解されますか?

<tomi>
進化論を科学的に論駁するのは、科学だと誤解して騙されている人が多いからです。
彼らの目を開くことによって、キリスト教への大きな障害が取り除かれる。
単に進化論の道徳的な問題を指摘するだけでは問題は解決しません。

<tomi>
キリスト教は人間の罪の問題を扱うのが本業。
そしてすべての水と霊から生まれた者の第一の責務は
自らの罪の問題に解決をつける事。
史上最大の戦場は自らの心の中にあるのであって
ここで自らの罪に実質的に勝利せずしてどうして
他人の罪の問題について語る事ができるのか。
自分の罪の問題にけじめがついていない人間ほど
『進化論』であるとか『世界的陰謀』の問題に目を
向ける。自らの想像を超える自らの罪の問題に
勝利せよ。さすればおのずから俗世間の諸問題に
対して勝利できよう。

<tomi>
キリスト教の本業の一部は、罪の問題を扱うことにありますが、罪の問題はそこから派生するあらゆる部分に及びます。

こうやって人の仕事をいかなる根拠もなく断罪するあなたの姿勢こそ、傲慢のきわみと言わねばならない。

もっと謙遜になって誤解をしないよう努力すべきではないですか?

自分の目にある梁をはらえず、どうして他人の人の目のちりを払えますか?

どうも会話が成立しないようなので、これで対話を止めます。

あしからず。

 

 

2008年3月4日

 

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