正統派が異端と呼ばれる時代の勉強法


マタイ24章の「ゲネア」という言葉は、プレ・ミレ(前千年王国説)の大患難未来説を粉砕する決定的な言葉であり、これについて納得のいく説明ができなければ、前千年王国論は正当性を完全に失います。

このHPで繰り返して説明したように、前千年王国説は、古代から20世紀前半にいたるまでキリスト教の主流派を占めたことは一度もなく、「異説」とか「珍説」と評価されてきた教えであり、教会から捨てられてきた教えです。

このことを教職者は重視すべきです。

歴史的に教会が拒絶してきたということは、非常に大きな意味を持ちます。「教会の教えは聖書ではなく、神の無謬の啓示ではないから」という理由だけで無視することはできません。

なぜならば、神は教会に対して誠実であられるからです。

神は愛する教会を正しい教えに導いてこられ、謬説を排除するように導いてこられた、という信仰があれば、教会が拒絶してきた教えをほいほいと採用するわけがありません。

それゆえ、歴史的に謬説と教会から評価されてきた教えを受け取る場合、私たちは徹底した研究を行う必要があります。

とくに教えに召されている人々は、軽々しく「新しい説」や「教会が拒否してきた教え」を唱えるべきではありません。

山谷氏は、再建主義が新しい説を唱え、歴史的信条と矛盾する教えを唱えていると考えているようですが、少し教理史を勉強すれば、ポスト・ミレも、セオノミーも歴史的教説であることがわかります。

事実、我々を非難するスコットランド長老教会は、再建主義についてはセオノミーについて「だけ」非難しているだけで、彼らはポスト・ミレなんです。

セオノミーは、ピューリタン神学の中心にあったし、カルヴァンもそれを主張しているのですから歴史的教説であり、スコットランド長老教会が我々を批判するなら、まずカルヴァンやノックスを非難すべきです。

我々を疑いの目で見たり、追い出そうとするのは、ただひたすらに「無知」が原因なのです。

もし私たちをセオノミーのゆえに非難するならば、じゃあ、カルヴァンの申命記注解を非難してください。あれは完全にセオノミーの本ですから。

もし私たちをポスト・ミレのゆえに非難するならば、じゃあ、近代の海外宣教を担った改革派系の諸団体を非難してください。彼らはポスト・ミレでしたから。

セオノミーもポスト・ミレも歴史的な教えです。

前提主義のゆえに、再建主義を非難しますか?

それじゃあ、改革派系の諸神学校を非難してください。彼らはヴァン・ティルを信奉していますから。

山谷氏はヴァン・ティルをラッシュドゥーニーの影響を受けた再建主義者と言っていますが、ヴァン・ティルはラッシュドゥーニーの先生なんです。この程度の知識もない人は、再建主義を批判する資格なし。

再建主義を批判するなら、ポスト・ミレ、セオノミー、前提主義という再建主義のエレメントについておさらいしてからにしましょう。

再建主義を批判する今のほとんどの日本人教師、しかも、かなり勉強していると思われる教師ですら、欧米の教師と比べて、まったくお話にならないくらいに無知なのは、神学校そのものがお話にならないくらいに無知だからです。

神学校の教師自身が、学ぶべきものを学んでこなかった。だから、日本の神学校に通ってもあまり意味がないと感じられる。

契約神学を置換神学と同一と見なす人がいましたが、もうドシロウトの領域でしょう。こんな教師に教えられる日本の若い神学生に同情を禁じ得ません。

まあ、一部改革派系の先生方を除いて、プロと呼べる神学者は日本にはいないというのが私の率直な感想です。

正統派が異端と呼ばれるこのような時代において、神学生諸氏は、自分でメイチェン、ヴァン・ティル、ウォーフィールドなどの英語文献を読んで、スタンダードを身に付ける以外には方法はないと思います。

 

 

2004年4月12日

 

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