宗教右派と再建主義の区別をしっかりしよう3


進化論を本気で信じるなら、「道徳」はこの世から消えうせる。

我々が偶然の産物であるなら、どうして「道徳」を主張できるのだろう。

恐らく、聖書を文字通り信じる人々を批判する知識人たちは、ここまでは考えていないだろう。だから、平気で、進化論を信じるといいながら、「イラク戦争反対」など唱えられるのだ。

もう分かっていることだが、彼らはあまりよく宗教について考えたことがないのだ。この社会や自然についての細かい専門知識はあるかもしれないが、起源と道徳の関係とかの問題については考えてこなかった。

だから、こういった浅薄な批判が横行しているわけだ。

世界観は、存在論と認識論と倫理から成り立つ。そして、この3つの要素は極めて密接に関連している。

だから「我々の起源は偶然の作用によった」と主張したら、当然のことながら、そこから、それなりの倫理が生まれるはずだ。

そうじゃなきゃ、その世界観は不徹底であり、欠陥だらけだということになる。

キリスト教についてこれだけ批判するからには、首尾一貫した世界観があると期待してもよさそうだが、進化論を信じた時点ですでに、世界観を放棄しているも同然だ。

なぜならば、進化論を主張し、本気で信じ、その原理を社会生活に適用したら、完全に排除されるからだ。

進化論者は、創造科学を「擬似科学」だなんていいながら、ちゃっかり日常生活は「普遍的道徳」があるかのようにして生きている。もう道徳は「弱肉強食」だけと開き直って生活している進化論者など見たことがない。

首尾一貫できないなら、どこかおかしいと気付くはずだが、彼らは気付かない、いや、気付きたくないのだ。ホンモノのバカではないのだから、心の奥底で自分が不徹底なのを知っている。

進化論を信じて、イラク戦争反対なんて言えない。宅間を非難することもできない。力の強い宅間は弱い子供たちを殺した、これは道理にかなっている。そして、宅間よりも強い警察につかまった。これも道理だ。なんて真面目な顔して言えるか?

もう無理だ。あきらめなさい。

進化論は、科学としても、世界観としても、欠陥だらけだ。

洗脳から解放され、素に戻って、「この世界は道徳的な神によって創造されたから道徳には価値がある」と言えばねじくれなくてすむから楽になる。

 

 

2004年5月20日

 

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