伊雑宮の復活が意味するところ2


大和王朝前に、ニギハヤヒ王朝があった。これは、物部氏の王国であり、それゆえユダヤ性、キリスト性が強かったのであろう。私の現在の推察では、おそらく蘇我氏と秦氏は、この王朝との間に密接な関係があった。だから、物部氏とこの2つの氏族は共通の信仰を持っていたのだろう。

しかし、藤原氏が政治の実権を握り、歴史を改ざんした結果、物部氏は蘇我氏によって滅ぼされたとされ、蘇我氏はその滅亡の張本人とされ、秦氏とともに追放された。

中世において「物部氏の古事記」である『旧事本紀』は、記紀に並ぶ神典とみなされていたが、江戸時代になって偽書として葬りさられた。まだ物部氏が復活できる時代ではなかったのだろう。

既述のとおり、『旧事本紀』は、聖徳太子が蘇我馬子に編纂させたものであるとの説があるという。この説が正しいとすると、従来の藤原史観から見て、非常に奇妙である。

物部氏を迫害した蘇我氏がどうして物部氏の正当性を証明する本を編纂するだろうか。

やはりどこかに歴史の改ざんがあったのだ。蘇我氏と物部氏を分断しようとの意図があったに違いない。

物部氏のニギハヤヒ王朝がユダヤ性を濃厚に残していて、紀元前から日本の中心勢力はユダヤ的であった。

そして、おそらく西方のキリスト教文化圏からシルクロードを通って来日した新羅系の蘇我氏と秦氏が、新約の民として日本に入り、旧約の民物部氏と同一の信仰者として習合し、大和朝廷成立後も、日本の有力統治集団として天皇家とともに存在していたのであろう。大化の改新まで。

藤原氏は、これらの集団から政治の実権を奪うために、自らが行った物部氏の暗殺を巧みな操作により蘇我氏が行ったと見せかけ、同時に秦氏をも巻き込んで、自らを天皇家の下に統治者として君臨する体制を築き上げたのではないか。

その政権の正当性を示すため、旧事本紀を葬り去り、その代わりに古事記と日本書紀を編纂した。

だから、記紀は、藤原氏によって色づけされ、改ざんされた古代の情報なのだろう。そのような歪曲があっても、やはり昔の記憶は残されている。

下記のサイトでは、聖書と古事記の関係が詳しく扱われている。
http://kojiki.imawamukashi.com/index.html
(残念ながら、他の日猶同祖論者と同様に、プレ・ミレの立場であり、黙示録を非プレテリズム的に読んでいる)

かかる流れを見ても分かるように、我々が、原日本の宗教を解明し、回復するためには、旧事本紀は重要な文献であり、ニギハヤヒ王朝、物部王国について調べることはきわめて重要である。

だれか私の推察を論証してくれる専門的知識を持つ人はいないだろうか。

 

 

2010年9月2日

 

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