字義的解釈と象徴的解釈の区別34


<Q>
結婚についてですが。この人が美人だったから結婚したんだ。と言う理由は悪い事なのでしょうか。男性が女性を外見でその人を好きになる事は不純なのでしょうか。人は見た目じゃない、心だと言っても心はわからないので。又、結婚を前提としてるなら肉体関係を持っても良いのか。御意見をお願いします。

<A>
悪いことではありません。
神は人間に美意識を与えておられます。
雅歌は外見に惹かれることが聖書的であることを証明しています。
ただ、外見だけで結婚するということは問題でしょう。
これは説明するまでもないことでしょう。

結婚を前提としても肉体関係を持つべきではありません。
肉体関係は契約行為であり、結婚式という契約締結の誓いの後にのみ備えられるものです。
コンビニに行って、商品を買うつもりがあるからといってその場で袋から出して食べてよいわけではないのと同じです。
お金を払うという行為は、売買契約が成立したことを示しています。それゆえ食べることができます。
じゃあラーメン屋はどうなんだ、後払いじゃないか、と言われてしまうかもしれませんが、聖書には契約成立以前に行った肉体関係を異常として扱っています。

「まだ婚約していない処女をいざない、彼女と寝た場合は、その人は必ず花嫁料を払って、彼女を自分の妻としなければならない。」(出エジプト記22・16)

結婚は、キリストにある救いを象徴しており(教会はキリストの花嫁)、それゆえ、結婚契約以前の肉体関係を教会が許せば、キリストを信じなくても救われるということを宣言しているのと同じことになります。

「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。」(黙示録22・14-15)

「着物を洗って」おらず、「いのちの木の実を食べる権利」を持たない人は、「門を通って都にはいれるようにな」れないのです。

結婚契約が軽んじられるならば、キリストの救いの教理も軽んじられるようになります。

それゆえ、神は教会を裁かれます。

 

 

2007年2月10日

 

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