世間教


私は、「世の中がそういうふうに動いているんだから世の中にあわせるしかないだろう。」という言葉を飽きるほど聞いてきた。

日本人にとって、基準は「世の中」なのである。

そして、世の中に適合できない人間のことを「世間知らず」「非常識」と呼び、切り捨てる。しかし、その世の中の基準が本当に正しいかどうかなど誰も知らない。

思考停止しているのだから、ある意味において、これは「カルト」である。これを「世間教」とでも呼ぼう。

日本人の大多数は、世間という得体の知れないものを恐れて一生を終える。

クリスチャンは、この「世間教」から解放され自由を与えられた。もはや世間の評価を気にする必要はない。

もちろん、世間教の中にも正しい教えが含まれているのだから、それをことごとく無視せよ、というわけではない。

しかし、クリスチャンは、その根底に流れているのは「サタンの霊」であることを見極めて、良い物と悪い物とを選別しなければならない。

「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」(エペソ2・2)

 

 

2004年5月28日

 

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