ビザンチン本文を復活させよう4


ビザンチン本文に関する記事を書いていて、改めて事の重大さに気づかされております。これまで学者たちは、聖書のオリジナルの文書が、ずたずたに分散されてしまったので、どれがもとの文書を忠実に再現しているなんていう写本は今日存在しないと最初から決めてかかって、そこを前提として出発していました。

みなさん、これってどう思われますか?聖書が最初から四散していた?ばらばらにされて、まともなものがなくなった。そのため、人間がよいと思う断片を寄せ集めてもとの聖書を再構築しなければならない?

何様?

神は、聖書が四散して、ばらばらになることを許されたのでしょうか?ちぎられて、5つとか6つの断片に切り離されることを神はよしとされたのでしょうか?

私は、現在の聖書学の聖書に対する態度が冒涜であると感じております。

普通のどこかの文書、古文書のように扱っている。信仰がないから、そういう「ばらばらになってしまった」という考えが生まれる。

神は、人間に対して救いに必要な情報を正しく届けるために、ご自身の全能の力によって聖書を毀損されることなく保つ力があります。

ビザンチン本文を翻訳する必要があります。これは、クリスチャンが少なくとも1000年間使っていた聖書です。我々が手にしているのは、ここ100年あまりの新しい写本に基づくものです。

しかも、この新しい写本を採用した人々がオカルティストであり、世界統一政府論者、イルミナティの仲間であったとなればどうでしょうか。

ここ150年の間、クリスチャンはまったく騙されていた!!!

そういうことです!!!

こういうきわめて重大な情報が次々と手に入るということはどういうことでしょうか?

神様が私たちを信頼してくださっているということ以外の何があるでしょうか。我々は情報を与えられた。だから、責任がある。そういうことでしょう。

 

 

2010年4月5日

 

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