日本が世界のリーダーになるには2


私は、日本人には多神教が似合わないと思う。

これだけ優秀な民族が幼稚な教えに拘泥しているはずがない。

首尾一貫性を重視する科学をこれだけ生かせる民族がもともと多神教を信じていたなんて信じられない。

今の知識人はまだ気づいていないが、日本は仕掛けがある。

裏があるのだ。そして、その裏を探らなければ見えないことがある。

日本は多神教のふりをした一神教の国であった。

このことを裏伊勢神宮の籠神社の宮司が述べている。宮司海部氏は、その神様をユダヤの神と明言された。そして、伊勢神宮も同じだと。さらに、天照大神は女神ということに公にはなっているが、男神だと。

なぜこういったシステムになっているのだろうか。

実は、この国の仕掛けを作った秦氏が陰陽思想家だったからだ。

私は陰陽思想は、聖書の三位一体思想に由来すると考えている。

ちなみに、聖書の思想は、「一と多」によって成立している。

「一」も究極であり、「多」も究極だ。

神は一人であられるが、同時に多でもあられる。

単数と複数が同時に成立している。

存在論的には多であるが、契約によって一である。

これは結婚において象徴されている。

男女は複数である。それぞれ異なる人である。しかし、契約を結んで一つの実体になる。

世界はこの三位一体の神によって創造・成立しており、それゆえ、三位一体の原理、「一と多」の原理によって貫かれている。

我々科学的思考に慣れている者は、このような重層的な見方にとまどう。

「一神教だったら一つを目指し、多様性を捨てるのではないか」と考える。

日本の多くの知識人がこの誤謬にはまって、抜け出せない。一神教と聞くと独善的・排他的とすぐに結びつける。

たしかにイスラム教の神は、一位一神教で、多の要素がない。

しかし、キリスト教の神は、三位一神教で、一と多が両立している。

だから、キリスト教だけが「統一性と多様性を並立できる教え」である。

我々は神について考える場合、この2つの側面―統一性と多様性―を見なければならない。

この三位一体性は、日本のいたるところに存在する。

かつて伊勢神宮の宮はすべて3つずつ作った。伊勢神宮の心御柱は3本の柱が一束になっている。

また、今は主に秦氏由来の神社にしかない三柱鳥居(3つの鳥居が組み合わさっており、上から見ると3角形に見える)は全国にあったという。

飛鳥氏が対面された八咫烏はこう言った。


「正殿が三棟だったのは、何も伊勢神宮ばかりではない」

「ということは、他の全国の神社もまた、古代においては正殿三棟だった」

「その通り」

・・・

「古代の神社が3つの正殿を持っていたとすると、それらすべてに心御柱があった」

「鳥居である」

「鳥居が心御柱の代わりという意味ですか」

「古代においては、すべての神社に三柱鳥居があったのだ」

「すべての神社にですか!!」

「・・・」

これにはまいった。三柱鳥居は造化三神=絶対三神の象徴であり、それは常に秦氏が建設してきたものである。古代の神社が三正殿で、しかも境内に三柱鳥居が存在したとなると、それらの神社は、みな秦氏の息がかかっていることを意味する。

ここ数年、奈良の大神教会や長崎の諏訪神社、対馬の和多都美神社など、各地の神社で三柱鳥居が建設されはじめている。もしかすると、これは古代の姿に戻そうという意図がどこかで働いているのかもしれない。
(失われたキリストの聖十字架「心御柱の謎」・飛鳥昭雄・三神たける著、学研、165-166ページ)

古代において、日本は三位一体の国だった。

その姿にまた戻ろうとしている。

回復の時が来た。

裏と表、一と三。

この秦氏由来の重層構造を見れなければ日本文化を本当に理解したことにはならない。

 

 

2008年6月23日

 

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