救いの地としての日本


イスラエルへの審判は2度あった。

1度目は、バビロン捕囚。

2度目は、紀元70年のユダヤ戦争。

この2度の審判において、神は、救われた人々と滅びた人々を分けられた。

1度目の場合、神は「少数の身寄りのない人々」をバビロン捕囚にあわせず、土地に残された。しかし、主だった人々をバビロンに連れて行かれた。

バビロンでの70年間が終わると、神は彼らを解放された。解放した人々の大多数はパレスチナに戻らず、どこかへ消えてしまった。

2度目の場合、神は「イエスを主と迎え入れたクリスチャン」を救い、「イエスを拒否した人々」を滅ぼされた。

イエスを拒否した人々は、世界に散らされ、異邦人の中に入り、放浪と迫害の歴史が始まった。

イエスを受け入れた人々は、従来の考えでは、同じく異邦人の中に入ったと考えられてきたが、それでは「救い」の意味がなくなってしまう。

聖書の象徴学で異邦人は海である。ノアの箱舟の記事で海は滅びである。

イエスを信じた人々が異邦人の中に消えてしまったというならば、救いの意味はない。

彼らユダヤ人クリスチャンの本隊は、どうやって救われたのだろうか。

生きたままパラダイスに行ったのだろうか。

私は一つの可能性として、日本に来たように思う。

日本は、1回目の審判の際に、ユダヤ人がまとまって来た。これは、消えた十部族を探しているイスラエルの公的機関も公式見解を出している。

だから、日本は「異邦人の土地ではない」。

この地は、「救われた人々の土地」であった。バビロン捕囚の刑罰を終了して「罪赦された状態の人々」が住み着いた土地であった。

だから、ユダヤ人クリスチャンたちは、紀元70年の審判の後、救われた者が行くべき土地として日本に向かった。

これで天皇の着任の儀式である大嘗祭が、なぜキリスト教のバプテスマ・聖餐・献身の儀式に酷似しているのかという謎が解ける。

天皇は、日本人の代表として、イエス・キリスト(*)の契約の中に入るということをこの儀式は象徴しているのではないか。



(*)
イエス・キリストは「地上を照らすまことの光」であり、天照大神天岩戸神話は、イエス・キリストの復活を表しているのだろう。

 

 

2007年8月7日

 

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