終末論は未来に関するだけではなく、現在に関する問題でもある


ユダヤ人神学者の中に「終末について考える必要はない。そんな未来のことについて考えるのではなく、現在について考えるべきだ」という意見がある。

これはまったくの誤謬である。

「終末について考えることは、現在について考えること」だ。

終末論の3つの立場、前千年王国説(プレ・ミレ)、無千年王国説(ア・ミレ)、後千年王国説(ポスト・ミレ)は、単に終末について述べているのではなく、


「現在クリスチャンはどのような人間か?」

という問題を提起している。

プレ・ミレやア・ミレは、千年王国を未来に起こる、もしくは、千年王国は起こらないとする。

そして、「現在、キリストとクリスチャンは世界の王ではない」とする。

しかし、ポスト・ミレは、千年王国はすでにキリストの十字架から紀元70年の来臨の流れの中において到来しており、我々の住むこの世界は「キリストの王国」であり、我々クリスチャンは「代理的統治者」としてこの世界を治めている、と考える。

聖書は繰り返し、今のクリスチャンを「王」「祭司なる王」「天に座る者」「よみがえった者」と呼んでおり、キリストは「天地における一切の権威を持つ者」「王」「主権者」と呼んでいる。

プレ・ミレ、ア・ミレ、ポスト・ミレのいずれを取るかによって、自分のことを「王」と見るかどうかが変わるのであるから非常に重要な問題であることがお分かりだろうか。

前2者では、クリスチャンは自分を王と自覚できないが、後者では自覚できる。

前2者は、不可能性思考であるが、後者は可能性思考である。

どちらがまともな思想であるかは、一目瞭然である。

終末論を単なる未来に関する学問でしかないと考え、それを軽視する神学者はろくなものではない。

本当に真面目なクリスチャンならば、終末論について真剣に考えているだろう。

 

 

2008年4月30日

 

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