天において貧乏人にならないために


我々は自分の所有物に関して敏感である。

自分で努力し、稼ぎなどして得た土地、家、車、家財道具、家族、子供、会社・・・などについて大きな関心を寄せている。

それを失うことを非常に恐れ、失われないように細心の注意を払って守ろうとする。

しかし、残酷なことに、死は我々の財産をすべて奪っていく。

死んだ後にも同じ生活を希望したエジプトのファラオは自分の遺体をミイラにすることを望んだ。

死は、ノンクリスチャンにとって、「相続不能」の宣告であり、実行である。

ノンクリスチャンは、キリストの恵みの契約の中にいないから、死後における相続を保証されていない。いや、むしろ、刑罰として、すべてを剥ぎ取られ、無一文の状態で永遠の刑罰の世界で日々苦しむことが定められている。

それに対して、クリスチャンは、キリストの恵みの契約の中にいるから、死後における相続を保証されている。生前神のためになしたすべての業、献金、慈善、兄弟姉妹に対する愛の業は、相続の対象になる。

しかも、それに100倍の報いが伴うから、相続資産は巨額になる。

相続に関して、クリスチャンとノンクリスチャンの間には驚くべき差が生じる。

永遠の相続と永遠の損失。

かたや億万長者で永遠を過ごし、かたや無一文と無限の苦痛の中で永遠を過ごす。

クリスチャンの間でも差が生じる。

神の御国建設のために働かなかった者には厳しい叱責がある。彼らは、ほとんど何の報いもないままに永遠の時を過ごす。御国の中の無産者階級である。

逆に御国建設のために働いた者は、豊かな相続財産に囲まれて永遠を過ごす。

この地上で豊かになるために、神に敵対し、御国に敵対した人々は究極の馬鹿者である。犯罪者や殺人者などはその中においても、特上の馬鹿である。

クリスチャンになった後に、地上での報いにしがみつき、悪魔にだまされて、御国のために働かず、ノンクリスチャンと同じような生活をした人々は、天において、究極のたわけである。

「そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富(=この世の富)で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。」(ルカ16・9−12)

この世の富は、天の富と比べれば「薄汚れた富」であり、それゆえ、「不正の富」に見える。

この世の富が不正だというわけではない。

この世の富とは、「小さなこと」であり、「他人のもの」であり、「薄汚れた富」である。

天の富は、「大きなこと」であり、「自分のもの」であり、「まことの富」である。

イミテーションのロレックスと、本物のロレックスどちらが欲しいだろうか。

もちろん、本物である。

我々がこの地上で所有している富は、すべて「贋物」である。

我々はどんなに努力していも、この地上では、偽ブランド品しかつかむことができない。どんなに大金を出しても本物は手に入らない。

そして、たとえ手に入れても、すべて「他人のもの」である。つまり、それは「神から預かっているもの」である。

自分のものを手に入れることができるのは、天の御国においてである。

神は我々に様々なものを預けて、それを用いて御国を拡大するように、と命令された。

クリスチャンを増やし、教育し、彼らを一人前の大人のクリスチャンに成長させ、彼らを通じてさらに御国が拡大するように腐心する。

自分の仕事を神の御言葉に準じたものに作り変え、御言葉の支配を拡大する。

こういうことをやっていれば、神は、天において、本物を宝として積んでいてくださる。

偽ブランドだからといって、やる気をなくしているならば、本物を手に入れることは永遠にできない。

我々にこの地上で与えられたものを用いて、最善を尽くして、神の御国を拡大するのでない限り、我々は天国の貧乏人になる以外にない。

 

 

2006年8月1日

 

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