1934年のルーズベルトとケインズの会談


ゲイリー・ノースが、When Frankie Met Johnny: The 1934 Meeting of Roosevelt and Keynesにおいて、ルーズベルトとメイナード・ケインズの1934年の会談について語っているので以下要約する。
http://www.lewrockwell.com/north/north773.html

これは、ルーズベルトの労働省長官を務めたフランシス・パーキンスの著書 The Roosevelt I Knew (1946)のLabor and the Codesの章に記されている。

ヒュー・ジョンソン率いる国家復興庁(NRA)は、1934年に価格制限と賃金制限を設けた。初期のニューディール政策を実行した機関の中で、NRAほど恐慌を悪化させたものはない。

これらの制限によって、企業も労働者も商品と労働を市場価格で提供できなくなった。これにより、失業が増え、企業の仕事が減った。

1930年から1934年までの間に、西洋を繁栄に導いてきた古典的自由主義の原理からの逸脱が進んだ。

パーキンスのNRAに対する評価は、ニューディール時代の官僚が抱いていた典型的な思いであり、それはまた、学校の教科書に記載されてきた説明でもある。


何百万もの労働者の賃金に支えられた国内市場がなかったら、経済はさらに悪化し、恐慌はさらに激しくなったことだろう。最低賃金を設定したことにより、・・・市場は再び活性化した。労働者は、土曜の夜に使うためのお金を手に入れた。この効果は産業全体に波及した。(225ページ)

実際は、最低賃金の設定によって失業者が増加した。

パーキンスは、非労働者の状況について説明していない。また、この政策が産業全体にどのような影響を及ぼしたかについても触れていない。

ジョン・メイナード・ケインズは、救済計画や公共事業とともに、この政策をしきりにイギリス政府に勧めていた。

ルーズベルト自身は、ケインズ経済学について詳しくなかった。政権内部の人たちは、彼の著書を読んでいたが、ケインズはまだアメリカにおいて人気を得ていなかった。

ケインズの理論とは、「個人や民間の支出が落ち込んでいるなら、公共の支出を増やせ」というものだ。つまり、現在、世界の各政府が取っている公共事業、ばらまき政策だ。

NRAが主導する救済策、公共工事、賃金の人為的上昇、農業調整によるお金の農民への分配は、ケインズの理論の正確な実践であった。

パーキンスは会談の様子を次のように語った。

1934年のケインズのルーズベルト訪問は、短いものであった。彼は高尚な経済理論を語った。

ルーズベルトは後で私にこう語った。「私はあなたの友人であるケインズに会った。彼は私に長々と数字を並べたよ。政治的経済学者といより数学者だね。」(225ページ)

ルーズベルトの政治的な才能は、彼の本質をすぐに見抜いた。実際、ケインズは、数学で学士号を取った(1905年)。彼は経済学の専門ではなく、しかも、学士号以上の学位をとらなかった。

ケンブリッジ大学の経済学者であった父親ジョン・ネヴィル・ケインズは、息子がケンブリッジに就職できるよう財産の半分を使った。彼を「世襲学者」と称しても侮辱したことにはならない。

パーキンスはさらに次のように語った。

ルーズベルトとの会談後、私の事務所に戻ってきたケインズは、ルーズベルトが取った政策を繰り返し賞賛していたが、注意深くこのように語った。「経済学という点から言えば、私は大統領は文学者だと思う」と。(226ページ)

彼は、ルーズベルトがケインズのことを理解したのと同じくらい正確にルーズベルトのことを理解していた。

パーキンスは、さらにケインズが彼女に語った言葉を紹介している。ゲイリー・ノースによると、これこそケインズ経済学を要約した最高の言葉だという。

ケインズは再びこう述べた。「政府が救済のために使う1ドルは、雑貨屋に渡り、雑貨屋はそれを問屋に渡す。問屋はそれを農産物の代金として農家に渡す。救済や公共工事などのために1ドルを支払うことは、国の収入として4ドル分の価値を生み出したことになるのだ。」

パーキンスは、次の質問をしなかった。「政府はそのドルをどうやって手に入れたのか?」

この質問は、いかなる大学レベルの経済学の教科書においても提出されたことがない。過去70年間、この質問が投げかけられたことがないという事実こそ、現代の学問が盲目であることを雄弁に証明している。

ルードヴィッヒ・フォン・ミーゼズの「ケインズ経済学は、石をパンに変える経済学」という言葉はあだしかった。これは、ポール・サミュエルソンの言葉を使えば、「不換紙幣をパンに変える経済学」と言い換えることができる。

これまで、国内・外交・軍事を問わず多方面に及び、戦後計画もこれに基づいて練られたニューディール政策については、本格的な修正主義の立場からの歴史書が出ていない。

このような歴史書が数巻のセット本として現れない限り、ルーズベルトの政策はこれからも本格的に適用され続けることだろう。圧倒的大多数の歴史家は、ルーズベルトを聖人として描き続けてきた。

ルーズベルトとケインズが学問的に批判されない限り、アメリカの保守派は仕事を成し遂げたことにはならない。我々は、これを70年もの間待ち続けてきた。

 

 

2009年10月23日

 

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