残りの民を探そう!


我々の立場に立つ人は大きく祝福されるでしょう。

ラッシュドゥーニーが私がはじめて接触したときにこう言ってくださいました。

しかし、現実は、逆境のほうが多かったように思います。

とにかく人と話が合わなくなります。

恐らく体験されるでしょうが、相手の顔つきが変わる、再建主義の内容を伝えると、それまで親しかったクリスチャンが悪魔に変わります。やってはいけないこと、言ってはいけないことをやりはじめる。

「ご乱行」をやりはじめる。ウソを並べ立ててこちらを貶めようとする。それまで尊敬されていた牧師が、堂々と人の失脚を謀議するようになる。

もちろん、受け入れてくれる人もいるでしょうが、その場合でもだいたいにおいて無関心でしょう。

再建主義は、サタンにとって、それまで譲歩してきた一線を超える教えなのです。だから、これを認めると、世界は大きく神のほうに傾斜していくことになり、自分の計画が頓挫する。それを知っているから、人々に働きかけてむちゃくちゃなことをするようになる。

その一線とは、「世俗を含めた世界統治」です。

サタンはカントを使って、キリスト教を宗教の領域に閉じ込めてきた。

「まあ、福音を伝えることまでは許そう。しかし、キリスト教は世俗のことについてはノータッチだ。世界統治に乗り出したら許さないぞ」と考えている。

クリスチャンを宗教の分野に閉じ込めておくことによって、ここ2−300年間サタンは世俗に関して自由にやれるようになった。

カント以降、秘密結社が世界で暗躍するようになります。
クリスチャンが手をつけない経済、政治の領域で彼らが支配権を取るようになった。

その一つがイルミナティですが、現在の世界を実質的にコントロールしています。

クリスチャンは、悪魔に対抗しなければならない。

悪魔が一番恐れているのは、我々が祈ることです。神の御手が働いて、自分の働きが妨害されることを恐れている。

「悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」との御言葉のように、我々が立ち上がることによって、悪魔の支配は終わりを告げます。

しかし、悪魔は我々を戦闘不能にしようとしている。そのために編み出されたのが、ディスペンセーショナリズムです。

クリスチャンは世俗に関係してはならない、と。そして、「もうすぐ再臨がある。それまで我々は支配できない。悪魔に勝てない」と吹き込まれた。

現在クリスチャンはこの教えによって無能化しています。

家庭集会を開いていたあるディスペンセーショナリズムのクリスチャンホームの夫妻は、私に「悪魔には勝てません!」とはっきりと言いました。

こんな諦めの教えがキリスト教であるはずがない。

世界を統治することに無関心な教えは、すべてことごとく「去勢された人間」を作ります。

だから、教会はオカマ化した。

我々は、我々以外に話のできる人間がほとんど残っていないということに愕然とするかもしれませんが、しかし、神は必ず残りの民を7000人残してくださっている。

その人々を探しましょう。

 

 

2008年3月17日

 

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