世代の波


われわれは、自分の10歳から20歳下の人々よりも、23歳から35歳下の人々と精神的につながっている場合が多い。

なぜならば、親は23−35歳上だからだ。

われわれ昭和30年代生の団塊後の世代は、団塊の世代とあまりつながりはない。学校でもであっていない。職場で初めて出会う。

団塊の世代の子供たち(1970年以降生まれ)は、団塊の世代とつながっているので、たとえ年がわれわれの親よりも近くても、われわれとは精神的に異なる。

予備校でこの世代の子供たちを教えたがわれわれの精神構造とはまったく異なっていた。元気がいい。主張が激しい。友人を異様にたっとぶ。

その後の世代が入ってきた。がらりと違う。おとなしい。ゆとり教育のせいか、学力が落ちた。

われわれ、そしてわれわれの子供の世代は、ちょうど団塊及び団塊ジュニアの世代の間に挟まれた「凪(なぎ)の世代」なのだろう。

世代を波に例えると、団塊及び団塊ジュニアが波の高い部分とすれば、われわれやわれわれの子供たちは波の沈んだ部分。「やさしさの世代」とも呼ばれた。

常識や思いやりの気持ちが通用するが、団塊と比較してバイタリティがない。人間としての魅力に欠ける。話が面白くない。友人がいない。連帯感がない。

団塊及び団塊ジュニアの世代は、競争相手が多かったことと、無神論、個人主義、共産主義の教育のせいからか、「自分(もしくは自分のグループ)がよければいい。その他はどうなってもかまわない」というような考え方をする人が多いように思う。

芸人で言えば、ビートたけしが団塊。ダウンタウンが団塊後。

やはり自分は、ビートたけしの笑いよりも、ダウンタウンに親近感を覚える。

親と子の世代で同調するから、10−15歳違う世代の人々よりも25−30歳違う世代の人々と合うという現象が起きるのだろうと思う。

こういった違いも、結婚年齢の変化や子供の数など様々な要因から、時間がたつうちに消えるか変化するのだろう。

 

 

2010年11月7日

 

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