杉原千畝が外務省から迫害されたというのは間違い


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●ところで、この杉原氏の行為は、一般には、「日本政府の意向に反して、自分の判断で行なったもの」だと説明されており、これが原因で杉原氏は「不遇の晩年を送った」と広く多くの人に信じられている。

しかし、杉原氏は1944年に大日本帝国政府から叙勲されており(「勲五等瑞宝章」を受章)、まともな待遇を受けていたと考えられる。

外務省を辞任した時は、外務省職員の3人に1人が辞任せざるをえないという戦後の官庁整理が真の原因だったらしく、年金も支給されていた。また、「フグ計画」の関係などもあり、駐モスクワ日本大使館などは、もっと後までユダヤ人にビザを発給していたことも確認されている。

勲五等瑞宝章

杉原千畝氏は、1944年に
大日本帝国政府から叙勲された


●1995年に出版された『意外な解放者』(情報センター出版局)には、次のような記述がある。

「外務省は杉原氏の退職について『1946年から47年にかけて行なわれた〈行政整理及び、臨時職員令〉に基づく機構の縮小の結果であり、杉原氏だけでなく当時の外務省職員の3分の1が退職した』と説明している。

また、その言葉を裏付けるように、杉原氏は1944年にルーマニア公使館で勤務中に『勲五等瑞宝章』を受章し、退職までの間、昇給・昇進も順調に得ていた。また、退職金・年金についても、不利な扱いは一切受けていなかったようである。」

 

 

2006年3月21日

 

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