イルミナティと外交問題評議会5


とにかく、フランスの国家と教会の首長たちがこの警告を無視した結果、1789年に革命が勃発した。これは、ワイスハウプトの計画どおりであった。ロビソンは、他の政府にも危険を知らせるために、1798年に『すべての政府と宗教を破壊する計略の証拠』という名の本を著したが、警告は無視された。それはまさに、アメリカ国民が国連と外交問題評議会(CFR)に関する警告を無視しつづけてきたのと同じである。

さて、ここに、聞く者に衝撃を与え、怒らせることになるかもしれない事実がある。それは、トマス・ジェファーソンとアレクサンダー・ハミルトンがワイスハウプトの弟子となったということである。ジェファーソンは、政府から放逐されたときに、ワイスハウプトの最強の擁護者の一人であった。当時新興の組織として現れたニューイングランドの「スコティッシュ・ライト」のロッジにイルミナティを入り込ませたのはほかでもないジェファーソンであった。

1789年、ジョン・ロビソンは、アメリカのすべてのメイソンの指導者たちに対して、ロッジの中にイルミナティが侵入したことを警告した。1789年7月19日にハーバード大学総長デイビッド・ペイペンは、卒業者たちに同様の警告を発し、イルミナティの影響がアメリカの政治と宗教に対していかに及んでいるか、またその過程がどのように完成したかについて講義した。ニューイングランドのメイソンロッジを設立したジョン・クインシー・アダムズも警告を発した。

アダムズは、メイソン最高階級であるウィリアム・L・ストーン大佐に3通の手紙を書いた。その中で彼は、ジェファーソンがイルミナティによる政府転覆のためにメイソンロッジを利用していることを暴露した。これらの3通の手紙は現在もウィッテンブルグ・スクエア図書館(フィラデルフィア市)に所蔵されている。端的に言うと、民主党創立者ジェファーソンは、イルミナティのメンバーであった。このことは、現在の民主党の性質を少なくとも部分的に説明している。民主党にイルミナティが浸透している以上、我々は忠実なアメリカニズムというものを今日まったく見られないのは当然のことである。

ロシア皇帝アレクサンダー1世が加えたウィーン会議での悲惨な反撃は、イルミナティの陰謀に少しの打撃も与えなかった。この事件によって世界統一の理念が一時的に潰えたと理解したイルミナティに戦略を変更させたに留まった。ロスチャイルド家は、計略を持続させるには、ヨーロッパ諸国の金融制度に対する自らの支配を強化しなければならないと考えた。

 

 

2007年8月21日

 

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