字義的解釈と象徴的解釈の区別50


<Q>
南雲先生は非6日間論者なのですか。私はまだ一回しか会ってないので。後、学ぶにあたって良い本はどんな本なのですか。スタンダードと言ってもわからないので。

<A>
以前電話で話したときには、非6日創造論者でした。

先生は、メイチェンらのように、まだ古い改革派の考えをもっておられるのではないかと推測します。

今は、改革長老系で6日論を取る人が増えています。

申しあげにくいのですが、今日本において、聖書に厳格に忠実な立場にいる先生は皆無と言ってよいでしょう。

それゆえ、牧師先生と接する場合も、十分に注意して、自分の立場というものをしっかり持って接することが大切ではないかと思います。

ヴァン・ティルの主張とは、「聖書は前提であって、聖書に文句をつけたり、それを批判することは絶対にできない。聖書から出発すべきだ」ということです。

ですから、聖書が、創造は6日で完了した、と言うのであれば、そのまま「はい、私は創造が6日で完了したと信じます」といい、聖書が「殺人者を石打刑で殺せ」というのであれば、そのまま「はい、殺人者を石打刑で殺します」といわねばならない。

律法は新約時代において確立されたのです。廃棄されたのでも、省略されたのでもない。むしろ、バージョンアップしたのです。

ですから、石打刑の規定があれば、新約時代における我々が行うべき処刑法は、石打刑から何か要素が減っていてはならない。バージョンアップされたソフトウェアが、古いバージョンのよりも機能が劣っていれば、詐欺と感じるでしょう。

それと同じように、バージョンアップされた新約律法は、旧約律法よりもすぐれているはずです。漏れがあるなど絶対に許されません。漏れがあれば、すなわち、律法の「一点一画」が落ちたということを意味している。

新約時代において律法は、旧約律法よりも幼稚化やダウンサイズされてはならないのです!!!

スタンダードの本とは、カルヴァンの「キリスト教綱要」、カイパーの「カルビニズム」、ヴァン・ティルのDefence of the Faith、チャールズ・ホッジの「組織神学」などです。

少なくともキリスト教綱要は必読です。

 

 

2007年2月15日

 

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