政治を情緒的に判断してはならない


一連の拉致被害者の態度から、私は、違和感よりもむしろ日本人の健全さを見てきた。

今回も子供たちが帰ってきた2つの家族は、問題がすべて解決したのだから、喜びを公然と表現することもできるのだが、他の被害者家族の心情を思いやってそうしなかった。これは、他人の感情を思いやる大人の態度である。

被害者連絡会から感じるのは、互いに被害者を励まし、助け合おうとする優しさである。このような健全な常識が底流にあるから、一連の拉致関連の出来事が国民に感動を与えもしたし、多くの支持者を集めもしたのだと思う。

もし他人の感情を害するということについて攻撃するなら、矛先は政府に向けるべきだ。

今回被害者たちが怒ったのは、成果そのものもそうだが、その取り組みの甘さである。もし小泉さんが粘って粘って相手から少しでも有利な条件を引き出そうとしたのならばこれだけの怒りの声は上がらなかったはずだ。

前回、金正日が提出した死亡リストを信じて、それをそのまま家族会に伝えた。それも小出しに。

恐らく帰国した2家族が完全な回復を実現できたのは、政府の極秘情報に関わっていなかったからだろう。特務機関のメンバーの教育に関わっている日本人は死亡したことにされたのだろう。

この程度のトリックは、外務省ならリストを渡される前からわきまえているはずなのに、まるごと相手の発表を信用して、北朝鮮の事情について詳しいとはいえない家族会にリストを丸投げした。政府の手を通したということもあって、家族会はその情報を信用して絶望のどん底に落とされた。

10人については背後に複雑な事情がある以上、残された10人が帰国できるには相当タフなネゴシエーションが必要なことぐらい分かっているはずなのに、政府はそれを避けている。

政府が家族会に対して誠意を見せられるのは、この「粘り強い交渉」においてしかない。

機密情報に関わった人間を国外に出すことがたとえあるならば、それは、国家崩壊の危機がかかって背に腹は変えられない状況を作りだす以外にはない。

そういう意味において、経済制裁のカードを不適切な時間に出したのは決定的な失敗なのである。これを怒らずして何を怒るのだろうか?

私は、今回、拉致被害者が怒っているのを見て、抗議の電話をかけた人々、そして小泉さんの訪朝を評価した60%の人々の心情がまるで理解できない。恐らく、話の内容を深く検討せずに表面でものごとを判断しているからこういう反応が起こるのだろうと考えている。

政治は冷徹な駆け引きである。民主主義の大きな欠点は、このような利害をめぐって進む実際の政治の世界を、情緒によって判断する人々がそうではない人々と同じ1票を持っているということにある。

 

 

2004年5月27日

 

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